雨にぬれても

その時々の心の残ったものの記録が主な内容になるかと思います。音楽に関する話が多くなりそうです。

cero @金沢 June 13th,2018

ceroの金沢公演に行ってきました。

Obsucre Rideを軽々と更新していく新譜の出来から想像はしてたけど、本当に全然別物のバンドのようになっていて、その進化の速さに驚かされました。

なので、ライブを観ながら、そして観終わってから考えていたことを記録として残しておこうと思います。

 

まず、僕がceroをしっかりと聴くようになったのは「Obscure Ride」からですが(それ以前の作品はそこまでのめり込みませんでした)、そのタイミングでceroに参加したのが藝大三人組、小田朋美さん、古川麦さん、角銅真実さんです。発表の時点で小田さん、古川さんのことは知っていてファンだったので結構驚いた記憶があります。ものすごーく雑な括りでいうと、ストリートのceroハイカルチャーの藝大勢が加わった、そんな印象でした。単に演奏の腕を買われたサポートミュージシャンって話なのかなとも思ったんですが、ふた(Obsucre Ride)を開けてみると全然そういう訳ではなかったですね。

そして、新作「POLY LIFE MULTI SOUL」と今回のライブにおける藝大組3人の役割は完全にサポートという枠を超えて、メンバーと言ってもいいような関係性に思えました。新作のレコーディングにおいても、ceroの3人が用意した雛形をスタジオで全員でアレンジして形にしていったそうです。その現場は、譜面を読めないメンバーもいれば、音楽の理論的な話をツーカーで喋っている人たちもいる、という環境だったようです。それもあってボーカルの髙城さんは音楽理論を勉強した、とインタビューで言っていて「学ぶことの大切さ」という話でもあるんですが、そもそもceroのメンバーと藝大組とでは音楽的出自が違うのでそういうところの差はあって当然だと思うんですよね。ceroを見ていてフレッシュだなと思うのは、ceroというバンドにおいてはそこの能力差がそこまで問題視されていないというか、ダイバーシティとして自然と了承されていて、その上でスタジオ内でも平等に、民主的に議論が行われ、お互いのいいところを出し合って物事が進められていたような印象を受けるところだと思います。そして、オリジナルメンバーもサポートのメンバーも全員がceroとしての活動を楽しんでいる。そういうあり方が今の時代において本当に魅力的に見える気がします。

 

ceroは単純に自分達に足りないものを補う意味で藝大勢を入れたのかもしれませんが、同じようなことを蓮沼執太さんはおそらくもっと自覚的に、明確に目的を持ってやっているように思います。

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これは蓮沼執太フィルの16人のメンバーですが、年齢も音楽的出自も読譜力や理論への明るさも完全にバラバラなように思えます。更に、これにオーディションで選んだ10人を加えた26人で蓮沼執太フルフィルとして今度ライブを行うようです。

「26人くらいでの演奏」という形式を考えたとき、1管編成のオーケストラが思い浮かびます。クラシックは作曲家の譜面と指揮者の指揮というトップダウンの指示に、高度に訓練された演奏家が応える、という音楽です。そしてジャズのビッグバンドも基本的にはそういったものです。(ビバップ以降のジャズも、演奏家の楽理の理解や読譜力、演奏力がある程度揃っていることを前提として成り立っています)つまり、これまで大人数で音楽をするときは、トップダウンで意思決定コストを下げて、全員の技量やバックグラウンドを揃えることでコミュニケーションコストを下げて、物事がスムーズに事が進むようにしていた訳です。

それに対して、蓮沼さんがやろうとしていることは正反対です。

全員の出自はバラバラ、技量も揃ってなくて譜面を読めない人もいる。そんなメンバーたちとコミュニケーションを取りながら一つの音楽を作る訳です。

蓮沼さん自身に明確に作りたい目標物があるなら、こんなクソめんどくさいことはやらないはずです。つまり、蓮沼さんは音楽を通して民主主義をやろうとしてるんだろうと思います。これは蓮沼さん自身に聞いてみないとわからないですが、改めて民主主義の意味を問い直したり、あるいは民主主義の価値を再確認しようとしてるのかもしれません。

 

意思決定の話で言えば、企業でも似たような話はあります。

これは今急成長しているNetflixの社内風土についての記事です。

シリコンバレーのようなところでは様々な人種の人が集まりますが、社員全体で情報を共有し、それぞれが間違いを恐れずに意見を表明して、「会社全体がドリームチームであるようにすること」を目標に掲げています。

 

こちらは中国(現在はマルタに移った)のBinanceと並んで世界トップの暗号通貨取引所であるCoinbaseの意思決定法です。責任の所在を明確にするために意思決定者を立てていますが、こちらも情報を共有して意見を募り、民主的なプロセスで意思決定をしています。

 

若くてイケてるミュージシャンと今イケてる企業で似たような傾向がみられるのはやっぱり時代性というものなのかなという気はします。

 

今の日本という国に目を向けたとき、民主主義そのものが揺らいでいるように思います。国民の多くは政治に興味がなく、そうでない人も政治を語ることをどこかタブー視していて、政治家は公文書を改竄しても責任を取りません。

別に中央集権的にトップダウンで物事を決めるのが全部悪いわけではないです。山下達郎バンドはどう考えても山下達郎トップダウンですが素晴らしいし、ジョブズイーロン・マスクもすごい。

ただ、バンドはリーダーがクソになれば解散すればいいし、企業のトップがクソになれば従業員がやめればいいですが、独裁国のトップがクソになったらそう簡単には止まりません。その反省として、三権分立をして、議会で喧々諤々の議論をして、選挙に税金をたくさん使う、という大きなコストを支払って今の民主主義というシステムを運用していることの意味をちゃんと考えたい。

そして、そんな時代だからこそ今のceroや蓮沼執太の音楽が意味を持って感じられるんだろうと思います。

 

最後に、ceroの新譜に入っている「レテの子」の元ネタである山下達郎「アトムの子」の歌詞の一部を引用させてもらいます。(怒られたら消します)

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Oculus GoでVR映像作品を観た感想とおすすめ作品

Oculus Goが届いてから、自分の見つけられる範囲で色々なVR映像作品を探して観ています。

とても刺激的で興奮するような体験をもたらしてくれる作品もあるのですが、少しだけ冷静になってきた部分もあります。

その理由を自分なりにまとめてみます。

(ちなみにVRの映像の中で自分が動くことが出来たり、その映像に何かしら干渉出来たりすると映像作品とゲームの境界が溶けていくなと思っていて、そのあたりの今後気になるところですが、今回の記事では主に映像作品に絞っての話になります。)

 

まずVRの映像作品とこれまで映像作品で何がどう違ってくるのかについてですが、おそらく360度写真や360度映像と、これまでの二次元の写真や映像を比較するとなんとなく見えてくるものがありそうです。

これからOculus Goなどのデバイスが普及し始め、誰でも手軽に360度写真や360度映像を楽しめるようになると、おそらくたくさんの人がそういった写真や映像を友達と撮って共有したり、VR用のSNSにアップするようになると思います。

これは昨日僕が冗談でしたツイート(リプライで「怖い」と言われたもの)ですが、

360度写真や360度映像は「この空間全体を撮って、その空間の中からどこに注目をおいて観るかは観る側に委ねる」という性質のものです。

逆に二次元の写真や映像はどうでしょうか?写真だと、人は何をどういう構図で収めるかを考えますし、人間相手の時にはその人の表情なども見ながら撮ります。映像でもどこをどのくらいの時間、どのような構図で収めるかを考えます。そして、当然ながらそこには撮る側の思いや意思が入ります。

それはそのままVRの映像作品とこれまでの映像作品を分かつ性質の違いといえそうです。

もちろんVRの映像作品にも作家の思いや意思を乗せることは間違いなく可能ですが、観る側の視点が自由であるがゆえに、キャラクターや人物を用いたストーリー性のある作品では観る側の視線をある程度コントロールする必要があり、それはきっと二次元の映像ほど簡単にはいきません。しかしながら360度の空間すべてを使って何かを表現出来るという自由は間違いなく新しい表現方法を生み出していくと思いますし、今後VR以降を代表するような新しい映像作家や映像制作スタジオというものも生まれてくるような予感もします。(そういう制作スタジオの芽はいくつか生まれてるようです)

そして、VRの映像に触れたことで、あらためて二次元の映像の良さも再確認出来た気がします。それは、作家が何かしらの意図を持って切り取った写真や映像に、その作家の思いや意思や価値観といった作家性がぎっちりと詰まっているところです。

何にでも言えることですが、表現の手段の新しさと表現の質の高さはイコールではないですし、どちらが優れている劣っているではなく両方を楽しんでいきたいなと思っています。

 

それでは観られるアプリごとに紹介していきます

【ブラウザ(YouTube)】

世界中で人気のあるNETFLIXのオリジナルドラマ「Sranger Things」で出てくる家の中を映像化したものです。ホラー表現としてはもっと怖いものもありますが、僕はこのドラマを観ていたのでとても面白く観れました。ちなみにホラー作品はVRと物凄く相性がいいです。360度どこで何が起こるかわからないということがそのまま恐怖に直結するからです(お化け屋敷もそうですね)

 

この映像では、のっち、かしゆか、あーちゃんが自分の周りをグルっと囲んで踊ってくれる(なんという贅沢)のですが、「好きな女の子」を自分で選んで観られる(観たい)という欲求とVRならでは性質がうまくマッチしてるなと思います

 

GHOST IN THE SHELL

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少佐がビルから飛び降りて戦闘するシーンが観られます。

Oculusの映像制作部門とDreamWorksが協力して作ったようです。

 

【COCO VR

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映画「リメンバー・ミー」の世界にどっぷり入ることが出来ます。

 

【Disney Movies VR

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美女と野獣ジャングル・ブック、モアナと伝説の海(のココナッツ海賊)などディズニーが版権を持ついろんな映画の映像を観ることが出来ます。

あえて一つだけおすすめするなら、ルーカス・フィルムの一番左、BB-8たちがじゃれてる?喧嘩してる?映像です。このアプリの映像全般に言えることですが、ストリーミングよりダウンロードして観る方がずっと綺麗なので観たいものはダウンロードして観るといいかもしれません。

マーベル関連の映像も「Coming Soon」と表示されていて、そのうち観られそうです。楽しみ。

 

【WITHIN】

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①②

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これら二つは、ドリームワークスで「マダガスカル」の監督を努めた人とピクサーで「トイ・ストーリー3」に携わった人が2015年に二人で立ち上げたBaobab Studiosという会社の作品です。ピクサーで『トイ・ストーリー2』や『モンスターズ・インク』の技術監督を務めた人も途中からCTO(最高技術責任者)として参加しています。

VRの映像は基本的にCGの延長線上にあるので、ディズニーやピクサー、Oculus(Facebook)のようなこれまでの技術の蓄積や資本のある大きい会社が引き続き強そうな気もしますが、こういう新しい会社がワッと盛り上がってくると面白い気がします。

 

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詳細不明ですが、音楽がJon Hopkinsなのでイギリスの作家さんでしょうか?

 

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これまでの映画史を辿りながら、歴史に残るオマージュをこれでもかと詰め込んだような作品。

10分の映像の中に僕が気づいた(わかった)だけでも、

月世界旅行から始まり、チャップリンフランケンシュタイン、ドラキュラ、キングコング、白雪姫、王様の剣ピノキオ、ワイルドバンチマカロニウエスタン(の何か)、タクシードライバーゴーストバスターズ、ゴッド・ファーザー、キル・ビル市民ケーンジョーズスターウォーズナイトメアー・ビフォア・クリスマスアバターバック・トゥ・ザ・フューチャー

のオマージュが含まれていました。

 

 

SAMSUNG VR

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Breaking Fourthというイギリスの制作会社のアニメらしい。

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去年公開の映画「キングコング:髑髏島の巨神」でキングコングに破壊されたヘリコプター乗組員の視点で作られた作品。

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「The Spacewalker VR

去年公開されたロシアの宇宙もの映画(らしい……僕は未視聴)

こういう感じで「ゼロ・グラビティ」を作り直したら最高なのでは?と思う

 

といった感じです。

コンテンツはこれからもどんどん充実してくると思うので楽しみに待ちたいなと思います。

若林恵「さよなら未来」を読んで

テクノロジーをメインに扱うWIREDというメディア、その元編集長である若林恵さんが2010年から2017年にかけた書いた文章を一冊にまとめた本です。

4月19日に発売されてすぐに購入し、4月中には読み終わっていたのだけど、感想を書くまでに自分の中で整理しなければならないことが本当に沢山あってこの文章を書くまでに時間が掛かってしまいました。

 

twitterなどで検索するとこの本について感想を述べている人はすでに沢山います。そして、テクノロジーに関する話題も多い本書ですが、感想を述べているのは編集者であったり音楽畑の人ばかりで、技術者からの感想はほとんど見当たりません。

その理由は「さよなら未来」というタイトルにも端的に現れていますし、本書の序盤で出てくる2010年に書かれた文章ではっきりと示されています。少し長いですが引用されてもらいます。

「煎じ詰めていけば、テクノ・エバンジェリストたちと、それに猛然と反発する人たちとのちがいは、テクノロジーが先か、人間・社会が先か、をめぐる見解の相違なのかもしれない。テクノロジーが変わることで、人間や社会が変わるのか。あるいは人間や社会が変わることで、テクノロジーのありようが変わるのか。音楽好きならば、エレキギターがロックの世界を変えたのか、それともジミヘンが変えたのか、と問うてみてもいいだろう。さあ、どっちだ。

一番慎重な答えをとるならば、「両方」ということになるのだろうが、それでも僕はどちらかといえば「ジミヘンが変えた」というほうに幾分か傾斜しておきたいと思っている。」

この価値観は本書の中でも一貫して通底しており、本書の発売に合わせた著者のイントロダクションではさらに強い言葉として書かれています。

つまり、若林恵さんの面白さというのは、テクノロジーを扱うWIREDというメディアの編集長をしてながら、根っこの部分の興味は常に人文学のほうに寄っていたというところであり、そういった姿勢や価値観、さらに文章の巧みさなどから、編集者や音楽関係者の厚い支持を得ている、というところなのだと思います。

 

さて、それでは今、日本や世界においてテクノロジーの最前線にいる人たちがみんな人文学を、あるいは人間や社会を軽視して物事を推し進めているのかというと決してそういうわけはないというのも事実です。むしろ、これからの時代に人や社会が豊かさを保っていくために真剣に頭をひねっている人たちが沢山います。

日本国内で考えてみましょう。

2018年の現在ですら、あらゆる業界で人手不足な状況で、就職も完全に売り手市場になってます。景気の問題もあるでしょうが、これから更に生産年齢人口は減少の一途を辿りますし、高齢者ひとりを支えるための現役世代の人数というのも更に減っていきます。

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そんなこれからの日本において、テクノロジーで解決できる問題はテクノロジーで解決していくしかないだろうということはかなりはっきりとしていると思います。

具体的には、(まずは運送業などの皮切りとして)自動運転車をガンガン走らせるとか、現金社会からスマホ決済やデビッドカード決済に移行してコンビニなどの無人化を進めるとか、AIで代替出来る仕事(業務)はAIに置き換えていくとか、VR空間で済むような会議や打ち合わせなどはVR空間で集まって行い、移動時間のロスを減らす、などです。

現実的な話として、こういった取り組みを今のうちから全速力で推し進め、国民一人当たりの生産性をガンガン高めていかなければ「これから先も日本国民全体の生活水準を現状維持する」ということ自体が夢物語なんだろうなと思います。

という前提を理解すると、テクノロジーを推し進めている人たち(仮にイノベーターとします)がやろうとしていることの正しさというものも見えてきます。しなしながら、イノベーターが変化を推し進めていくとそのあおりを食らう人たち、例えばそういった変化の中で職を失いそうな人たちからは猛烈な反発が出ます。それに対して、イノベーターの人たちがそういった批判の声にいちいち耳を傾けて足を止めていられない、と考える気持ちも凄く理解できます。何もせずに、足を止めていても人は歳をとるし、高齢化は進みます。そういった変化に対する勢いであったりスピード感というものが、「テック企業(やイノベーター)の傲慢さ」のような記事として世の中に出てくることも多いですが、自分がどちらの立場につくかによって見え方は大きく変わるはずです。今の僕個人の気持ちとしては、(全部が全部とは言わないものの)様々な変化を前向きに受け入れていくべきだと思ってます。

 

ただし、若林さんもこういったことは当然理解しています。

そして、イノベーターたちの正しい取り組みについては、それ自体を”勇気”と称しています。こういった両面の立場からの発言が本書の中には多く見られ、僕がこの本の感想を書くにあたって時間がかかってしまった理由でもあります。

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さて、先ほどあげた自動運転車の普及やコンビニ無人化が進み、AIが様々な業務を担っていく未来はほぼ間違いなくきそうです。

現在、運送業の人たちの労働環境の厳しさはニュースでも話題になっています。そういった人たちの日々の努力があって、僕たちは今インターネットで物を買う便利さを享受しているわけです。しかし、自動運転車が実用化されると運送業のドライバーは真っ先に置き換えられていくはずです。ついこの間まで残業続きで身を粉にして働いていたのに、いつのまにか自分の居場所がなくなってしまう。そうなった時に、そういう人たちに対して「自動運転車が普及するなんて前からわかってたことじゃん」とはなかなか言いたくない自分がいます。

都内のコンビニで働く外国人労働者にも同じようなことが起きてくるだろうと思います。

そうなった時、職を失った人たちがAIや機械に置き換えにくくて社会的に需要がある職業にスムーズにスライドしていけたらいいですが、おそらく事はそう簡単に運ばないような気もします。世の中の変化の早さに社会のセーフティーネットもうまく機能せず、社会からこぼれ落ちるような人たちもきっと出てくるはずです。

そして、僕自信も自分にさしたる能力があるとは思っておらず、この先の変化の中できちんと身を立てていけるのかという不安は常に抱えています。

そういった大きな大きな世の中の変化のタイミングで人の心を支えるものこそが人文学なのだろう、と僕は思います。

 

僕なりの要約にはなりますが、本書の最終章で若林さんはこのような話をしています。

「ここ数年の間にAI、ロボット、ブロックチェーンVRと要件は出揃ってきて、WIREDというメディアでその道を作ってきた。今後それらの技術が一気に世の中に出てくることはわかってて、その道を遡って舗装すればお金は儲かるだろうけどWIREDの編集長を離れるタイミングで別のことをやる」

といった話です。

これからの世の中の変化や盛り上がる場所を理解しながらも、自分の立場でやるべきことをやろうとしている姿は信用に値するなと素直に思います。

そして、新しく立ち上げた黒鳥社(blkswn)での活動は、この先の世界の変化の中で社会からこぼれ落ちた人たちの支えになるものになるのだろうという気がしています。

 

この本の中で僕が特に好きだった章がこれです。


努力はするつもりですが、僕も社会からこぼれ落ちるおっさんになるかもしれません。

それでも「どこかに居場所がある」、そんな世の中であってほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

VR、立体音響技術から始まるこれからの音楽の形

いきなりタイトルから大きく出ましたが、「これからの音楽」についての僕が持っているイメージを説明してみようと思います。

ただ、僕は技術者でも音楽家でもないただの音楽ファンなので、技術面でも音楽面でも間違ったことを書いてしまうかもしれません。

その時はお手柔らかにご指摘いただけると嬉しいです。僕自身、自分の持っているイメージがどこまで正確なものなのか測りかねており、なおかつ純粋に興味があって正しく理解したいからです。よろしくお願いします。

前置きも無駄に長く、長文になります。お付き合いいただけたら嬉しいです。

 

音楽とテクノロジーの関係】

そもそも今当たり前に存在する楽器もかつては新しいテクノロジーだったはずです。一定の長さ、一定の張力で張った弦を打弦したり、撥弦したり、擦弦したりすると決まった音が出るということに誰かが気づいて様々な楽器が発明されました。そして、音の高さにルールを設け、その決められた音を使って西洋の音楽理論が体系化されてきました。

その後もテクノロジーと音楽の関係は親密です。マイク、アンプ、スピーカーが発明され、アナログな音を電気信号に変換して音量を増幅出来る様になると、大編成のオーケストラやビッグバンドでなくとも、つまり小編成のバンドなどでもライブで色々な表現が出来る様になりました。

1960年代にエレキギターが普及すればジミヘンが登場し、1970年代にシンセサイザーが普及すればクラフトワークYMOが登場します。音楽の発展や進化とテクノロジーは常に隣り合わせです。

しかし、クラフトワーク登場以前にシンセサイザーがなかったのかというと全くそういうことはありません。シンセサイザーは1930年頃から開発が進められ、1950年代からはミュージック・コンクレートという現代音楽のいちジャンルの中で、また日本でもNHK音楽スタジオで黛敏郎武満徹などによって音楽としての応用が研究されてきました。1971年には冨田勲さんが(当時の価格で)1000万円でモーグというシンセサイザー個人輸入しています。

そうして、1974年にようやくクラフトワークの「アウトバーン」というアルバムで電子音楽が大衆に広まるわけです。(ちなみに冨田勲さんのモーグでのデビュー作「月の光」も同じ年です)

音(音楽)に関する新しい技術は、初めは技術者と本当に先進的な現代アーティストの間で研究がなされ、少しずつ技術の扱いが容易になり、機材などの価格がなんとか手の届く範囲にまでコモディティ化したところでようやくその技術が民主化され、広く世間に聴かれる音楽、つまりポップミュージックに浸透していくことになります。

では2000年以降の音楽について考えてみましょう。

2000年以降の音楽についてテクノロジーを絡めて話をするならば、「PCの普及と性能向上に合わせて進んだ音楽制作現場の民主化」と言ってしまっていいと思います。PCの性能向上とともにDAWで出来ることがどんどん増え、少しずつソフトシンセや機材の価格も下がってきます。そんな中で、例えば日本では2007年頃にPerfumeのような存在がドカンとポップシーンに現れるわけです。

しかしですね、2000年から2018年の今に至るまで「音楽制作現場の民主化」以外の大きな地殻変動って実はなかったんじゃないかと思います。

僕個人のことで申し訳ないですが、2010年からせいぜい2012年くらいまでは、例えばテックハウスやミニマルテクノといったエレクトロニックミュージックにも関心を持って聴いていました。しかし、その後はArcaのような突出した例を除けば、僕個人の音楽の興味はだんだんと人が演奏する音楽に戻っていきます。特に難しい理屈を考えてそうしていたわけではなく、多分自然に飽きてきただけです。きっとDAWで出来ることの可能性がかなり出尽くしてきた時期だったのかもしれません。

そんなタイミングで僕を含めた日本の音楽好きの間で大きな話題となったタームといえば「Jazz The New Capter」です。

ジャズとヒップホップを掛け合わせたロバート・グラスパーやケンドリック・ラマーの3rdアルバム、J DIllaなどの揺らぎのあるビートやエレクトロニックミュージックのビートをドラムで表現したクリス・デイヴやマーク・ジュリアナが話題になります。

僕なりにこれがどういうことだったのかを言葉にしてみると

DAWというテクノロジーによる音楽の更新に停滞感が出てきた中で、人が創意工夫によって生み出した新しい価値」

となりそうです。

要するに、新しいテクノロジーが音楽に入ってきた時はアイデア一発勝負でも新しい価値を生み出せるけれど、DAWで出来る新しい表現が減ってきた2010年代中盤以降の難局に、音楽ファンに新しい価値や新鮮な驚きを与えられるのは技術と知性を持ったジャズミュージシャンだったってことだと思います。

インターネットに例えるとわかりやすそうです。インターネット黎明期にはクソみたいなサービスでもみんな喜んでいましたが、今となっては新しい価値や驚きを提供するのは高い技術と知性を持ったGoogleAppleFacebookばかり、そういうことです。

 

だけど、僕は今、立体音響を扱う技術の民主化が目前まできており、「立体音響技術を用いた音楽」が新しい表現の可能性を生み出していくような気がしています。その鍵となるのはVRバーチャルリアリティ)です。

 

【現在の立体音響音楽】 

現在の立体音響を用いた音楽は概ねサウンド・アートと呼ばれる芸術のいち分野とされます。これはシンセサイザーと使った音楽がミュージック・コンクレートと呼ばれた時期と同じかと思います。

アプローチとしてはふた通りあるように思われます。

①「現実空間の中でたくさんのスピーカーを用いたマルチ・チャンネル音響作品」で会場を使ってインスタレーションのような形を取るもの

更にここから少し進んだ最新の状況として、

②「プログラムによって作られたマルチ・チャンネル音響作品」

というものがありそうです。

坂本龍一さんがサンコレと共同で開催したマルチ・チェンネル音響作品のコンテスト「設置音楽コンテスト」で以下のような総評を出しています。

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せっかくなので、このコンテストで優秀賞を取られた松本晃彦さんの音楽をヘッドホンで聴いてみましょう。

めちゃくちゃ面白いです。

おそらく自作された二次元の画面のDAWで音を空間のどこに配置してどう動かすかをプログラミングしているんだと思います。こんなことは本当に素晴らしい技術を持った人しか出来ないはずです。

ですが、VRの技術がこれから普及してくると、三次元の空間の中に誰しもが直感的に音を配置出来る様になるんじゃないかと僕は思います。

2020年にはAppleVRに本格参入してくるようです。これは僕の勘ですが、Logic、iTunesiPodApple Musicと音楽にがっつり向かい合うAppleなので、2020年以降のどこかで立体音響音楽を簡単に作れるような3DのDAW、つまり次世代のLogicを出してくるんじゃないかなと予想しています。

 

 

【僕なりに思い描く3DのDAWのイメージと実現可能なこと】

まず、現状のVRにおける立体音響技術のまとめ記事です。

おそらくですが、 3DのDAWは【現在の立体音響音楽】 の①と②を掛け合わせたようなことをVR空間で行うものになるような気がします。

音楽制作の流れのイメージを書いてみたいと思います。

⑴ VR空間の中に①でいうところのインスタレーションの会場を作ります。会場の大きさを決め、残響などの音場設計をシミュレートして設定します。現実のインスタレーション会場と違い、VR内で作る会場は曲と途中で(例えば◯小節目からなどの)変更も出来そうです。つまり、ものすごく残響の多い閉じた閉鎖空間(世界)から一気に開けた空間(世界)に移動するような音楽上(音場上)の演出も可能になりそうです。

⑵ そのVR空間(会場)の中で聴き手の立ち位置を設定します。

⑶ そのVR空間の中にMIDIファイルやオーディオファイルを配置したり、そのファイルが聴き手に対してどのように動くのかを決めます。例えば、長い音価のシンセ音があったとしたら、「その音が聴き手の2メートル離れたところを1周に2小節かけてグルグル回る」みたいなイメージです。VRの空間の中で音の動きを視認しながら直感的に設定できます。現実のインスタレーションでは予算などの関係で配置出来るスピーカーなども限られますが、VRの中ではデバイスのスペックが許す限りいくらでも空間に音を配置出来そうです。

 

どうでしょう?想像出来ますかね?「こんなもんありえねー」と思いますか?僕も100%の自信があるわけではないですが、イメージは出来てしまいます。

 

 

VR、立体音響以降の音楽がポップスに下りてくる時】

もしこういったことが実現可能になり、こういった技術を使って生まれてくる音楽がいつかポップスにまで下ってくるとしたらそれがいつなのか……。例えるなら2007年の時のPerfumeのような存在がいつ出てくるのか。

とりあえず、2025年くらいと考えてみるのはどうでしょう?

では、次のPerfumeのような存在をプロデュース出来る人物は誰なのか。これまでの音楽と新しい音楽の両面に深い造詣があり、なおかつその気になれば極上のポップスに振り切ることも出来るであろう人物。

本人に全くその気がなければごめんなさいしますが、僕がパッと思いつく範囲で考えたなら、例えば 網守将平さん が頭に浮かびます。

 

エイベックス株式会社の成長戦略2020について

公式からのIRでこういったものがあがっていました。

簡単にいうと2014年頃を境に音楽業界の構造変化などもあって売り上げが落ち込んでいたのに対し、会社として大きな方向転換をして新しいことをやっていこう。そのための成長戦略はこういう感じです、という内容でした。

その中で個人的に面白かったのは『「未来志向型エンターテインメント企業」を目指して』という資料。

まず、

VR技術へのアプローチ

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株式会社エクシヴィのGOROmanさんと組むという点。

ニコニコ動画GREEDeNA(及びSHOWROOM)などのネット企業のVtuber事業の参入は公表されていたり既に動いているけれど、音楽がメインの会社としては多分日本で最初かな?

まずは短編アニメ映画とのことで凄く楽しみだけど(もしかして東雲めぐちゃんが主演!?)、当然のことながらVR技術を音楽事業にも展開していくことになるだろうと思います。

現状のエイベックスが抱えるミュージシャンが好きかって言われると正直そこまで……なのだけど笑、これから面白い試みもたくさん出てくるのかなと期待してみていきます。

 

②タイムバンクとの連携

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僕みたいな労働者は、時給制月給制なんであれど自分の時間を会社に売って、その対価として給料をもらってるわけです。要は「個人の時間というものはお金とトレードされる」という当たり前のことを、株式市場のような仕組みでウェブ上でやったものがタイムバンクでした。

(ちなみに10秒単位で、株式のように言うと10秒を一単元としてトレード出来ます)

これまではそのあり方を面白がった一部の人だけが参加し、仮に誰かの時間を買ったとしても、あまりその買った時間が有効に使われていないような状況だったのかなと思います。

ただ、エイベックスと連携することできっと買った時間の使い道が明確に生まれてきます。

例えばこういうことです。

VR空間上であるアーティスト(あるいはVtuber)がイベント(やライブ)をします。

そのために、ファンはそのイベントの所要時間分の”時間”をタイムバンクで買って、そのリワードとしてイベントに参加します。もしそのイベントに参加したい人が多ければ、当然時間を買い求める人も増えるため時間単位の値段も上がるため、ファンがイベントに参加するために掛かるお金は高くなります。

つまり、これまでの「定価のチケットを買ってイベント(ライブ)に参加する」という形とは違うあり方が生まれてきそうです。

人気アーティストなんかだとイベント時の時間単位の値段がめちゃくちゃ高くなったり、そもそもそうなることを見越して投機目的でそのアーティストの時間を前もって仕込んでおく様な人も出てきそうだなー、なんて考えてしまいます。

これは現時点で出てる情報からの想像で、もしかしたら全然違う形になるのかもしれないですが、いずれにせよ面白い試みにはなりそうなので注目していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

旨味と苦みとDC/PRG

菊地成孔さんが主催するレーベルTABOOの5周年イベント「GREAT HOLIDAY」に行ってきた。

菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール、オーソロジー、市川愛ものんくる、新生スパンク・ハッピー、けもの、JAZZ DOMMUNISTERS、DC/PRGとレーベル総出の一大イベント。
ものんくるのレーベル卒業の発表なんかもあったし、新生スパンク・ハッピーのお披露目にも胸が躍ったし、そもそも素晴らしいパフォーマンスをみせてくれたすべての出演者に対して書くべきことはあるのだが、今回は最後に全部をかっさらっていったDC/PRGについて書きたい。
 
と言いつつ、いきなり話が逸れるように思われるかもしれないが少し我慢して読んでほしい。
いつ、どこの番組だったかは記憶が定かでないが、落合陽一さんが自身の食の好みを聞かれ、砂糖(スクロース)や塩(塩化ナトリウム)のようなシンプルな甘さやしょっぱさではなく、ハマグリのような複雑性のあるものが好きだと答えていた。生き物を丸々食べる旨味と雑味(苦み)に豊かさを感じるそうだ。その時は単に食の好みの話だと受け取ったし、実際それ以上の意味はない発言だったのかもしれないが、どこか心に引っかかるものがあった。
(考えるまでもなく自明のことながらも)最近よく考えていることなのだが、この世界というものは複雑性の塊だ。学問の話でいえば、過去の研究者が人生をかけて積み立てたものの上に、次の世代の研究者が新たななにかを積み上げてきた。そんな現在においては、あらゆるものの仕組みを横断的に完璧に解ろうなんてのは土台無理な話だ。何かひとつの分野に全力で向かい合ったところで、「ちゃんと理解できた」と胸を張って言えるようになれるのかも定かでない。さらにはあらゆる国の文化や歴史、価値観の違いであったり、予測のつかない自然災害などが乗っかってくる。まったく、この世界のややこしさったらない。それでも、せめて世界の輪郭だけでも捉えてみたいと思い、少しずつ世の中に目を向けようと思っている自分がいる。
世界の複雑性の中にも旨味と苦みが溢れている。
豊かさ、進歩、発展、喜びという旨味があり、それと同じだけ貧しさ、後退、衰退、悲しみという苦みがある。もっとシンプルに「自分の好きなものや人、価値観であったり、自分の興味があるもの、目にしたいもの」を旨味といい、「自分の嫌いなものや人、価値観であったり、自分の興味がないもの、目に入れたくないもの」を苦みと言い換えることも出来そうだ。
 

昨日、twitterのTLにこのブログが流れてきた。

phaさんのことは著書までは読んでいないけれど知っているし、このブログのような閉塞感も時間とともに解決して、また前を向いていけるようになるのかもしれない。だから彼のことを否定するつもりは全くない。ただ、今自分が考えていることと重なる部分があった。

きっと人は誰しも自分の好きなものや好きな人に囲まれて生きたいと思うものだろう。僕もそう思う。でも、自分の中にある「好き」だけを頼りに生きていくと、きっとどこかで行き詰る。twitterのタイムラインを自分と趣味や価値観の合う人だけで固めると確かに気は楽だし、興味のある情報の摂取効率は上がる。ただ、きっと発展は少ない。
今自分が世の中の苦みだと思っていることが、実は旨味を引き立てていたり、もしくは苦みだと思っていたものが旨味に感じられるようになる可能性が減ってしまう。
たぶん、世の中の複雑性を旨味も苦みもひっくるめて口に入れ、噛んでみて、飲み込むことが大事なんだと思う。複雑性ってものがきっと豊かさの正体だ。
 
さて、ようやくDC/PRGの話にたどり着いた。
ここまでに書いてきたことが、僕がDC/PRGのライブを観て感じたことのすべてだと言っていい。
DC/PRGの高度に訓練されたメンバーによる演奏から感じる秩序を旨味とするならば、奏でられる音楽の混沌具合はきっと苦みだ。そして、その旨味と苦みがすばらしいバランスで混ざり合ったDC/PRGの音楽はこの上なく豊かだ、としかいいようがない。
この複雑性は、きっとそのまま菊地成孔という人物の複雑性とイコールだし、本当に面白くて豊かな人だと思う。なにより素晴らしい音楽家だ。
DC/PRGの出番は長丁場のフェスの大トリだった。僕もそうだが、開演から会場にいた人たちはDC/PRGが演奏を始める時点で5時間以上立ちっぱなしで疲労が溜まっていたはずだ。
しかし、ひとたびDC/PRGの演奏が始まると疲れが頭をもたげることは一度もなかった。歳を重ねるとともに、ライブに行っても体を動かさずに眺めるように観ることが増えてきた僕も、久しぶりに、そしてごく自然に疲労を忘れて思う存分体を動かしていた。
僕だけじゃなく周りの人たちも、DC/PRGという普通に考えればわかりやすいとはとてもじゃないが言えないような複雑性を備えた音楽をそのまま飲み込み、熱狂していた。
本当に素晴らしい時間と空間だったと思う。そして、最高のバンドだとも思う。
 
 
 
 

エルメート・パスコアル@渋谷WWW X

ブラジルの音楽家、エルメート・パスコアルのライブを観てきた。

いつか観たいと思いながらもなかなか観る機会を得られかったが、昨年出た二枚組のアルバムも素晴らしかったし、御歳81歳ということもあって今回こそはどうしても観なければという気持ちから、来日公演の発表があってすぐにチケットを取った。そして、結論から言うとその判断は大正解だった。

僕は椅子席を予約していたため、開演の20分前くらいに会場に入ったが、運良く最前列に座ることが出来た。

ブラジル音楽のライブには何度か行ったことがあるけれど、個人的な印象として、集まっているお客さんはどことなくおおらかで理知的な印象の人が多いように思われ居心地がいい。今回は子供の入場が無料だったこともあり、老若男女、家族連れと幅広い層の人たちが集まっていたが、やっぱり同じような居心地の良さを感じた。きっと様々なブラジル音楽に共通する穏やかな空気がそういう人を呼ぶのだろうと思う。

ライブが始まると、そこからはめくるめくパスコアルの世界が広がった。

おおらかだけどアグレッシブで、知的だけどユーモアに溢れた音楽が椅子席に座っている僕の身体を自然と揺らした。最近では座ってライブを観る楽さにすっかり慣れてしまい、可能であれば椅子席を選んでしまう僕だが、久しぶりにスタンディングで観ればよかったなと思うライブだった。

各メンバーのソロの後は観客から暖かい拍手が飛び、ステージの上をゆっくりと歩くパスコアルとメンバーとの間にはお互いに対する信頼と尊敬のようなものが感じられた。幻想だろうけど、ライブハウスの空間自体に親密な空気が流れているような気さえした。

とにかく「エルメート・パスコアルというブラジル音楽の巨星をちゃんとこの目で観ることが出来て良かった」ということに尽きる。


さて、日本にはブラジル音楽好きがそれなりにいるようだ。しかし、日本のブラジル音楽好きが好んで聴いている音楽の多くは本国におけるメインストリームではないらしい。アントニオ・ロウレイロアンドレ・メーマリ、アレシャンドリ・アンドレス、ハファエル・マルチニなど、これまでのブラジル音楽の大きな流れに連なる素晴らしい音楽家がたくさん出てきているが、YouTubeで彼らの音楽を調べた時、再生数はその音楽の素晴らしさとは不釣り合いなほど少ない。

世の中はどんどんグローバル化している、経済も情報も。音楽は早くからインターネットの中で複製、配布され、市場価値を薄められてきた。そして、ようやく今、サブスクリプションサービスという形で新しい業界のあり方が固まってきた段階だろう。

サブスクは音楽好きからすればこの上なく便利なサービスだ。世界中の音楽をほとんどお金をかけることなくいくらでも聴けてしまう。世界中の音楽家にとっても、自分の音楽を世界中の人に余計な流通コストをかけずに聴いてもらえるチャンスがある、といえる。

しかし、現実的な話をすると、ブラジルというローカルの中でもメインストリームでない音楽が、世界中の音楽が集まるサブスクの中で世界の人たちに発見され、たくさんの人に聴いてもらえるかというとかなり希望は薄いように思う。

むしろ、これから発展してくるアジアやアフリカも含めた世界中の国の人々がアメリカなどの先進国のメインストリームの音楽に容易に触れられるようになり、影響を受け、その結果として世界の音楽の均質化がさらに進むと考えた方が良さそうだ。すでにグローバルスタンダードになった洋服なんかがわかりやすい例ではあるが、世界の均質化が進んだ中で、その中に残る各国の独自性を楽しむ感じに少しずつなっていくような気がする。(もちろんそれぞれの音楽家には個別の個性があって、全体としての音楽の傾向とは別に向き合うべきだろうけど)

そのこと自体をいい悪いというつもりもなくて、これからの世の中を思えば必然とも思えるのだが、どこか寂しさを感じる気持ちは否定できない。

僕や日本のブラジル音楽好きが好んで聴いているような、ブラジル国内でもメインストリームでない音楽が、これから先もその特有の美しさや豊かさを失わずに残っていくのかはわからない。

世の中の大きな流れとしてのグローバル化に個人で抗う術もなく、その流れの中で正しいと思える振る舞いをするしかないんだろうと思う。

僕個人に出来ることとして、素晴らしきローカルをちゃんと愛そう。改めてそう思った一日だった。