犀の角のように

H30年7月9日より勉強ブログになりました。32歳からの学び直しの記録です。

これまでとこれからの自分について

最初に言っておきたいこととして、僕は一つの場所、一つのコミュニティ、一つの組織の中で努力をして、そういった集団を支えている人に対して何の悪感情も持っておらず、むしろ僕には出来ないことをしている人だという尊敬の念がある。

その上で自分について少し考えてみたいと思う。

 

まず大前提として、自分はストレスに弱く、とても移り気だ。そして、興味を持った対象にはおそらく人よりも深く熱中する。

おそらくそれは僕自身に生来的に備わった特徴であり、今後も変わらない可能性が高いような気がしているし、僕がこれまでの人生で無意識に取ってきた行動や二度のメンタル的危機(高校時代と社会人になるタイミング)についても、そういった特徴が根っこにあったように思う。

音楽という一つの枠の中だけでみても、僕の興味の対象やジャンルはこれまでもコロコロと変わってきたし、おそらくこれからも変わっていく。最近は、また新しい音楽のあり方の雛形のようなものが散見され、今はそういったところに興味を持っている。

2013年頃からはアイドルが好きになった。当時は、多様な音楽ジャンルを次々に取り込んで「アイドルソング」の幅が拡張されていき、ファンの人種も多様だった。カオスではあったし、僕の知らないところでクソな出来事も、異文化間の衝突もあったのだろうけど、僕自身は概ね平和と自由を感じていた。BiSやでんぱ組のようなグループが出てきたことも、その現場で起こっていることも、賛否があるのは知っていたけど遠巻きに面白く眺めていた。

そして、今は同じような感覚でVR周辺で起こっていることを眺めている。

 

ただ、よくよく考えてみると僕はいつでも、多分今も「自分にとって居心地のいいコミュニティの末席」にいる気がする。

なんだかんだで3年以上好きだったアイドルについても、握手会に行ったのが確か2回ほど、TIFにも1回しか参加していない。「地方に住んでいるから」だと自分では思っていたけど、多分そういうことじゃない。行こうと思えばいくらでも行けたはずだ。

VRに関しても多分そうだ。VRやVRChatの中に存在する自由を、そこにフルコミットする沢山の人たちを、少し羨ましく思いながら末席で見ている感覚がある。

こういった自分のあり方を「本気になれないワナビー」だと感じることも多々あるけど、例えばアイドルが好きだった時期に古今東西のアイドル音楽を聴いた量はかなり多い方だったと思うし、VR/ARに関しても未来のイメージを掴みたくて沢山の情報を求めている。

今の職場においても同じことが言える。今の部署について3年ほどになるが、僕が同僚とご飯を食べに行った回数は1回だけだ。(周りは時間を合わせて各自で行っている)協調性が無いというだけの話かもしれないが、おそらくだけど、この回数はきっと普通じゃないと思う。当然の事ながら組織の中での出世(つまり責任が増すこと)に何の魅力も感じていない。

 

これらのことは、全部無意識に自分が取ってきた行動になるが、つまるところ「自分自身の価値観が急激に変わる可能性」が前提にあるため、特定の場所、コミュニティ、組織からすぐに脱出出来る位置にあえて自分を置いているとしか思えない笑

本来はその場その場でフルコミットした上で次に進む方が一番成長出来る気がするが、そうなると自分自身が沢山の責任や役割を抱える立場になり、脱出時に人を振り回したり摩擦が起こるので無意識に避けているような気もする。(実はそういった形で深く入りこんだ方が後々その場を離れた後も深く理解しあえる人が周りに残る可能性が高まるだろうことも薄々感づいてはいる)

 

特定の集団に長く、深く身を置きたくないということは、集団から生じる価値観を持ちたくないということでもある。つまり、自分自身の中の「良識」を信じるしかなくて、その「良識」を下支えするのが、教養や、あるいは哲学のようなものだろうと思う。そして、そういったものに触れた上で自分自身と対話し、自分がこれまで信じてきた「良識」をきちんと疑って更新していく必要があると思っている。

自分の人生があまりうまく回っていなかったのは、ある場所から脱出する時にいい移住先に移るための切符を持っていなかった。つまり、能力が足りなくて移住先の選択肢があまりにも少なかったことが理由の一つとしてあると思う。それは就職先だったかもしれないし、居住地だったかもしれないし、あるいはフリーランスとして活動出来ないということだったかもしれない。今僕が(優先的に)英語を勉強しているのは、多分そういった切符を手にするためだと思う。

人が新しい場所に移る時、多分いろんなものを処分しなくてはいけないと思う。それは「物理的な引越しで不要なものを減らすこと」と似ていて、新しいことをするための時間を捻出するために、これまで好きだったもののうち本当に自分にとって大切なもの(僕だったらミュージシャンや映画監督など)以外をその場に残して立ち去れないといけない。ただ、その場に置いて離れた過去に触れたアレコレも自分の血肉になった大切なものであることには変わりない。

最後に一つ理解してもらえたら嬉しいのは、アイドルを通して出会った人たちとの時間は間違いなく幸せだったし、おそらくいずれ離れるであろうVRコミュニティの末席で出会った人たちもきっと同様になると思う。僕にまた何かしらの変化があったとしても「コミュニティの一員じゃない僕」に心を許してくれる人がいるならば、僕にとってそういった人たちは何よりも代え難く大切な存在なのだと思う。

おそらく僕はきっとこういう生き方しか出来ないから。

 

 

 

 

 

感情って

ブログのタイトルを現在のものに変更し、早一ヶ月半。

更新をあまりしていない理由はざっくりと2つあって、

ひとつは、「ブログを書いている暇があるならやりたいことがたくさんある」ということ。

もうひとつは、「僕の今やっている勉強がブログに書くに値しないものである」ということ。

実際に今やってることといえば、Twitterを見るか、本を読んでいる時間以外のほとんどの時間を英語に費やしているというだけのことだ。

少しずつ上達しているのを感じているし、「英語に触れている時間」というものにストレスをほとんど感じなくなってきており、最近では”勉強”をしているという感覚はほぼない。自分が「大人が話している少し難しい言葉を理解しようと背伸びしている幼稚園児」になったような感覚に近いかもしれない。

ただ、今英語に多くの時間を割いていることは、物理を効率よく学ぶために算数や数学を先にやっているようなものだと考えているし、早く英語使って英語以外の何かを学んだり、情報をちゃんと得られるようになりたい、というところが当面の目標になるかと思う。

 

今回の投稿のタイトルを「感情って」とした。「心って」と言い換えてもいい。

少し話は逸れるが、僕は地方で介護福祉士をしている。

その職場は特別養護老人ホームなのだけど、そこの90歳くらいの認知症の男性入居者は、時折何の脈絡もなく大声で「天皇陛下バンザーーーイ!」と叫ぶことがある。

その老人にとって、叫んだその言葉が何歳までの”リアル”だったのかは知る由もないが、おそらく認知症の症状により、60年、70年ほど前の自分に戻って叫んだと考えるのが自然かと思う。こういったことは認知症の方と接しているとよくあるので、それ自体特段驚くことではない。

また、同じような年代の女性入居者が、手に取った本の中の昭和天皇の写真に手を合わせ、涙を流しているのを目にしたこともある。

昭和天皇の戦争責任論という話で、その責任の有無についての意見をこの場で述べるつもりはサラサラないが、GHQが何故占領政策を円滑に行うために皇室を残し、その後、天皇が”象徴天皇”という物凄く曖昧な役割を持つに至ったのか、あるいはそうせざるを得なかったのかが、こういった老人たちの行動から深く実感出来、その意味を飲み込めるようになった。

最近の勉強という話で言えば、英語が出来るようになってきていることよりも、こういったことに想像力が回るようになってきたことの方が個人的には意味があることだと思っている。

こういった事柄からの学びを端的に言葉にするならば「世界は想像以上に感情で動いている」という話かもしれない。

”感情”とは何だろう?

誰かを好きになったり大切に思うのも”感情”ならば、

誰かを傷つけたり貶めるのも”感情”だ。

合理性から外れた行動をし、(例えるなら、AIがはじき出した統計的に合理的な判断から外れたような、現在においてまだ価値の発見されていない領域で情熱を燃やして)新しい何かを見つけ得るのも”感情”ならば、

何の合理性もないことを繰り返して、とんでもない過ちを犯してきた人間の歴史の多くの出来事も”感情”によるものだ。

僕個人の話でいうと、

ライブハウスで素晴らしいライブを観て心を奪われるのも”感情”ならば、

そのライブの直後、そのライブハウスの外の土砂降りの雨を見て思わず舌打ちしたくなるのも”感情”だ。

 

「自分の(あるいは個人の)感情はとても大事なものだ」という感覚は勿論あるけれど、先程のライブハウスの例にあるように、「わずかなことで乱高下する自分の感情というものも心底あてにならん」という感覚も同時にある。

自分の中で全然答えの出ていない話だけど、改めて感情って何だろう?と思う。

 

ブログ名を変えました。

旧ブログタイトル「雨にぬれても」は、バート・バカラック作曲、ハル・デヴィッド作詞のこの曲からの引用でした。

今もすごく大好きで、おそらくこれからも僕のメンタリティの奥深くにどっしりと根を張っている曲になると思うので、ブログタイトルに残そうか、あるいは別のブログを立ち上げようかとも思ったのだけど、いい機会なので思い切って変えました。

ここ1年くらいかけて徐々に、そして今でははっきりと自分の興味や関心ごとの比重が変わってきた自覚があるのだけど、かといってこれまで僕が多くの時間の割いてきたアレコレが僕の中で大切なものであることに変わりはないので、音楽の記事などを残したまま、これからのことをここに書き残していきたいと思います。

ちなみに雑記ブログなので、これまで通り勉強以外のことも書くかもしれません。

 

まず、自分の勉強の記録を書き残そうと思った理由はザックリとこの3つです。

①単純に自分自身の記録として

②自分の思ったことや躓いたことをアウトプットすることで記憶に定着させたい

②誰かの目に留まり、何かに繋がる可能性を考えて

 

タイトルに「勉強を1からやり直す」と書いた以上、自分のスタート時点のスペックについて書いておかないとフェアじゃない気がするので簡単に書くと、

①地方のひと学年250人くらいの公立中学で成績は一応上から5人に入るくらい?

②地方のよくある公立の進学校に入学し、色々あって勉強を投げ出す(よくいる馬鹿)

③その後、特に転職市場で価値がつくような積み立てを特に出来ずに今に至る

④要するにザコ 以上

といった感じです。

 

勉強に関しては1ヶ月前くらいからボチボチとやっているので、その進度も含めて当面の勉強の方針について書きます。

==========重点項目==========

①英語     

②ブログラミング 

 

①英語について

まず英語は今年の6月上旬くらいから勉強をし直していて、中学レベルの英文法ももはやあやふや(笑)というところからやり直してますが、目標としては来年の6月でTOEIC900点くらいとかなり高めに設定しています。届かないにしても、一年後笑われない程度に頑張ります。

英語に関して今やっていることは、

⒈ スマホアプリ「mikan」でひたすら英単語を覚える

mikanはめちゃくちゃ便利です

⒉ 「中学3年間の英文法を10時間で復習する本」スマホアプリ「瞬間英作文」で文法の基礎を固める

最初からどっしりした文法書をやってもいいんだけど、日常英会話なら中学レベルの文法でかなりイケることがわかったので、ちゃんと基礎を固めて「瞬間英作文」でモタつかず言葉が口から出てくるようにしたいと思ってやってます。そのほうが英会話の上達の効率も上がるはずなので。

もちろん、それがある程度できたら「一億人の英文法」スマホアプリ「東進ブックス」の中で購入できるこの文法書用の確認テスト・音声教材を使うつもりで既に用意してあります。

⒊ オンライン英会話(DMM英会話 Skypeを使用)

今年の6月17日から始めているのそろそろ3週間くらいに経ちます。1レッスンが25分なので、一日2レッスン50分を継続してやっていて、今日(7月9日)の時点で計20時間ちょっとになります。まだ文法と単語がすぐに浮かばずに言葉に詰まることもあるけど、そんな時はその場でGoogle翻訳を使ってます。たった20時間でもいくらか上達してるのは感じられます。

⒋ スマホアプリ「スタディサプリENGLISH」

リスニングやスマホのマイクを使った発音チェックなどなど総合的に学べる素晴らしいアプリです。僕はまだそこまで時間数をこなせてないけど、これをガッツリやるだけでもかなり効果がありそう。

⒌ スマホアプリ「Tandem」

自分の話せる言語(僕なら日本語)を選び、自分の学びたい言語(僕なら英語)を選ぶと、英語が話せて日本語を学びたい海外の人がずらっと表示されてLINEのようにメッセージの交換やビデオ通話が出来ます。有料ですが、3ヶ月契約だと月々400円くらいだったかな?それでネイティブと話せるんだから便利だなと思います。今の自分のレベル的に勉強効率的が悪い気がするので、もっとスラスラと書いたり話せるようになったらガンガン使いたいアプリです。

⒍ Twitter

日常的に英語を目にする機会を増やしたくて、海外のアカウント(テック関係の社長さんやら、海外のメディアやら)をフォローしてタイムラインに流れてくるようにしました。ところでみなさん時差って知ってます?実際のところ、アメリカのツイートが流れてくるのは午後11時〜みたいなことが多くて、あんまり意味がない笑 一応未公開グループにそれらのアカウントをぶち込んでるので意識的に興味のある記事を読むようにはしたい。

 

②プログラミングについて

⒈ プログラミング

現状、英語に結構な時間を割いてしまっていて、プログラミングの勉強は想定していたより進度が悪い。一ヶ月半くらいかけて、Progateでこのくらい。あとはUdemyでAIに関するコースを一つやってみた、くらいにしか出来ていない。これはマズい。

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ということで、今後はUnityを色々と触ってみてOculus Goで動く何かを作ってみることに重点を置きつつ、合間にProgateを進めて終わらせて、Aidemyでいろんなコースをやってみる、みたいな方向で楽しんでやっていきたい。多分方向性を明確にしてリソースを突っ込んだほう転職とかを考えた場合には正解なんだろうなと思いつつ、自分はまだどの方向で何をしたいのかがはっきりと定まっていない気がするので、とりあえず色々とやってみようと。何か作って、ブログやTwitterに後悔してみて、笑われて凹む、ここまでがひとサイクルという気持ちで。

 

⒉ 資格

英語ならTOEICがあるし、とりあえずこっち側の資格も何かあったほうがいいのかなと、当初の計画では10月の応用情報技術者を受けるつもりでいたが、自分の中の優先順位的に後回しになっていて10月は無理そう。参考書と問題集は買ってあるので、4月に向けてどうするか考えていく。理想を言えば何かを作ってたり、自分の好奇心にしたがってアルゴリズムやデータベースやネットワークに関する本を読む中で応用情報技術者の試験範囲の知識の一部が自然と身についたらいいなと思うし、そういったタイミングでの受検でもいいのかもと思う。どうだろうか。

 

==========やりたい========== 

①数学、物理学

世の中の移ろいやすさや変化の早さを痛感するにつれ、これらの学問(特に数学)の堅牢さというかボラティリティの低さみたいなものに凄く惹かれている。AIで数学が必要だよねとか、Unityでも数学や物理学の知識があったら良さそうみたいなこともあるけど、それ以前に単純に興味がある。やるとしたら高校数学、高校物理からになるけど重点項目だけで幾らでも時間が必要な中、果たしてどこまで出来るのか。うーん、わからんがまぁ数年計画くらいのイメージでやっていけたら良い。もちろんUnityを触る中で必要性を感じたら適宜に学んでいきたい。

 

②歴史

去年暗号通貨に触れてからお金の価値について真面目に考え始めた。それはつまるところ「虚構」の話であり、信頼、信用、信仰の話でもあり、突き詰めると宗教や国家、イデオロギーの話でもあり、「そもそも人とは」という超深遠な問いと向き合うことでもあって、自分なりに考えたり調べたりしても学のない僕にはなかなかに持て余すテーマだったのだけど、そんな折に「サピエンス全史」を読んで感銘を受けた。

お金の動き、つまり経済という視点や、当時の人たちにとっての共同幻想であったり支配的な価値観がなんだったのかという視点を持って歴史を振り返ると本当に面白く感じられる。

色々な本を読んだり、NHKオンデマンドで10年ぶりくらいに「映像の世紀」を観返すなどしたい。

 

③中国語

英語がある程度出来るようになったら中国語もやりたい。ただ、始めるとしても1年後とかかな?

どうやら発音がかなり複雑らしいけど文法は割と簡単で、日本人は普段から漢字を使っているというアドバンテージもあるので日本人にとっての言語習得難度でいうと英語より易しい……みたいな話も聞く。これからの中国の発展を考えると多分出来たら超便利そう。あとは単純に歴史のほとんどの期間において超大国だったこの国にすごく興味がある。

 

 

 

といったことを働きながらどこまで出来るか試してみます。ここに書いたことだけでもおそらく2〜3年計画くらいになって、その都度方向性の調整をしながら次はどうするかを考えていく形になりそうです。

ちなみに、ここでは便宜上「勉強」と書いているけど、今のところ「勉強」という言葉からしばしば連想されるようなストレスをほとんど感じることなくこれらのことに取り組めています。「自分の今の関心事への好奇心」と「この国の未来に対するそこはかとない危機感」と「学びたい事柄がこれからの時代に更に必要になりそうなスキルであること」がうまく噛み合わさってドライブしているような気はしています。会社や国を心の拠り所とするのではなく、自分が自分自身をある程度信用出来るようにしておいたほうがこれからの時代は心が不安定にならずに済みそうだ、という心の中からのワーニングに従いつつも、危機感だけではなく好奇心で学んでいけたらいいなと思っています。

ここまで書いておいて途中で飽きたり投げ出したりしたら、その時は笑ってください。

 

 

 

 

 

 

 

cero @金沢 June 13th,2018

ceroの金沢公演に行ってきました。

Obsucre Rideを軽々と更新していく新譜の出来から想像はしてたけど、本当に全然別物のバンドのようになっていて、その進化の速さに驚かされました。

なので、ライブを観ながら、そして観終わってから考えていたことを記録として残しておこうと思います。

 

まず、僕がceroをしっかりと聴くようになったのは「Obscure Ride」からですが(それ以前の作品はそこまでのめり込みませんでした)、そのタイミングでceroに参加したのが藝大三人組、小田朋美さん、古川麦さん、角銅真実さんです。発表の時点で小田さん、古川さんのことは知っていてファンだったので結構驚いた記憶があります。ものすごーく雑な括りでいうと、ストリートのceroハイカルチャーの藝大勢が加わった、そんな印象でした。単に演奏の腕を買われたサポートミュージシャンって話なのかなとも思ったんですが、ふた(Obsucre Ride)を開けてみると全然そういう訳ではなかったですね。

そして、新作「POLY LIFE MULTI SOUL」と今回のライブにおける藝大組3人の役割は完全にサポートという枠を超えて、メンバーと言ってもいいような関係性に思えました。新作のレコーディングにおいても、ceroの3人が用意した雛形をスタジオで全員でアレンジして形にしていったそうです。その現場は、譜面を読めないメンバーもいれば、音楽の理論的な話をツーカーで喋っている人たちもいる、という環境だったようです。それもあってボーカルの髙城さんは音楽理論を勉強した、とインタビューで言っていて「学ぶことの大切さ」という話でもあるんですが、そもそもceroのメンバーと藝大組とでは音楽的出自が違うのでそういうところの差はあって当然だと思うんですよね。ceroを見ていてフレッシュだなと思うのは、ceroというバンドにおいてはそこの能力差がそこまで問題視されていないというか、ダイバーシティとして自然と了承されていて、その上でスタジオ内でも平等に、民主的に議論が行われ、お互いのいいところを出し合って物事が進められていたような印象を受けるところだと思います。そして、オリジナルメンバーもサポートのメンバーも全員がceroとしての活動を楽しんでいる。そういうあり方が今の時代において本当に魅力的に見える気がします。

 

ceroは単純に自分達に足りないものを補う意味で藝大勢を入れたのかもしれませんが、同じようなことを蓮沼執太さんはおそらくもっと自覚的に、明確に目的を持ってやっているように思います。

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これは蓮沼執太フィルの16人のメンバーですが、年齢も音楽的出自も読譜力や理論への明るさも完全にバラバラなように思えます。更に、これにオーディションで選んだ10人を加えた26人で蓮沼執太フルフィルとして今度ライブを行うようです。

「26人くらいでの演奏」という形式を考えたとき、1管編成のオーケストラが思い浮かびます。クラシックは作曲家の譜面と指揮者の指揮というトップダウンの指示に、高度に訓練された演奏家が応える、という音楽です。そしてジャズのビッグバンドも基本的にはそういったものです。(ビバップ以降のジャズも、演奏家の楽理の理解や読譜力、演奏力がある程度揃っていることを前提として成り立っています)つまり、これまで大人数で音楽をするときは、トップダウンで意思決定コストを下げて、全員の技量やバックグラウンドを揃えることでコミュニケーションコストを下げて、物事がスムーズに事が進むようにしていた訳です。

それに対して、蓮沼さんがやろうとしていることは正反対です。

全員の出自はバラバラ、技量も揃ってなくて譜面を読めない人もいる。そんなメンバーたちとコミュニケーションを取りながら一つの音楽を作る訳です。

蓮沼さん自身に明確に作りたい目標物があるなら、こんなクソめんどくさいことはやらないはずです。つまり、蓮沼さんは音楽を通して民主主義をやろうとしてるんだろうと思います。これは蓮沼さん自身に聞いてみないとわからないですが、改めて民主主義の意味を問い直したり、あるいは民主主義の価値を再確認しようとしてるのかもしれません。

 

意思決定の話で言えば、企業でも似たような話はあります。

これは今急成長しているNetflixの社内風土についての記事です。

シリコンバレーのようなところでは様々な人種の人が集まりますが、社員全体で情報を共有し、それぞれが間違いを恐れずに意見を表明して、「会社全体がドリームチームであるようにすること」を目標に掲げています。

 

こちらは中国(現在はマルタに移った)のBinanceと並んで世界トップの暗号通貨取引所であるCoinbaseの意思決定法です。責任の所在を明確にするために意思決定者を立てていますが、こちらも情報を共有して意見を募り、民主的なプロセスで意思決定をしています。

 

若くてイケてるミュージシャンと今イケてる企業で似たような傾向がみられるのはやっぱり時代性というものなのかなという気はします。

 

今の日本という国に目を向けたとき、民主主義そのものが揺らいでいるように思います。国民の多くは政治に興味がなく、そうでない人も政治を語ることをどこかタブー視していて、政治家は公文書を改竄しても責任を取りません。

別に中央集権的にトップダウンで物事を決めるのが全部悪いわけではないです。山下達郎バンドはどう考えても山下達郎トップダウンですが素晴らしいし、ジョブズイーロン・マスクもすごい。

ただ、バンドはリーダーがクソになれば解散すればいいし、企業のトップがクソになれば従業員がやめればいいですが、独裁国のトップがクソになったらそう簡単には止まりません。その反省として、三権分立をして、議会で喧々諤々の議論をして、選挙に税金をたくさん使う、という大きなコストを支払って今の民主主義というシステムを運用していることの意味をちゃんと考えたい。

そして、そんな時代だからこそ今のceroや蓮沼執太の音楽が意味を持って感じられるんだろうと思います。

 

最後に、ceroの新譜に入っている「レテの子」の元ネタである山下達郎「アトムの子」の歌詞の一部を引用させてもらいます。(怒られたら消します)

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Oculus GoでVR映像作品を観た感想とおすすめ作品

Oculus Goが届いてから、自分の見つけられる範囲で色々なVR映像作品を探して観ています。

とても刺激的で興奮するような体験をもたらしてくれる作品もあるのですが、少しだけ冷静になってきた部分もあります。

その理由を自分なりにまとめてみます。

(ちなみにVRの映像の中で自分が動くことが出来たり、その映像に何かしら干渉出来たりすると映像作品とゲームの境界が溶けていくなと思っていて、そのあたりの今後気になるところですが、今回の記事では主に映像作品に絞っての話になります。)

 

まずVRの映像作品とこれまで映像作品で何がどう違ってくるのかについてですが、おそらく360度写真や360度映像と、これまでの二次元の写真や映像を比較するとなんとなく見えてくるものがありそうです。

これからOculus Goなどのデバイスが普及し始め、誰でも手軽に360度写真や360度映像を楽しめるようになると、おそらくたくさんの人がそういった写真や映像を友達と撮って共有したり、VR用のSNSにアップするようになると思います。

これは昨日僕が冗談でしたツイート(リプライで「怖い」と言われたもの)ですが、

360度写真や360度映像は「この空間全体を撮って、その空間の中からどこに注目をおいて観るかは観る側に委ねる」という性質のものです。

逆に二次元の写真や映像はどうでしょうか?写真だと、人は何をどういう構図で収めるかを考えますし、人間相手の時にはその人の表情なども見ながら撮ります。映像でもどこをどのくらいの時間、どのような構図で収めるかを考えます。そして、当然ながらそこには撮る側の思いや意思が入ります。

それはそのままVRの映像作品とこれまでの映像作品を分かつ性質の違いといえそうです。

もちろんVRの映像作品にも作家の思いや意思を乗せることは間違いなく可能ですが、観る側の視点が自由であるがゆえに、キャラクターや人物を用いたストーリー性のある作品では観る側の視線をある程度コントロールする必要があり、それはきっと二次元の映像ほど簡単にはいきません。しかしながら360度の空間すべてを使って何かを表現出来るという自由は間違いなく新しい表現方法を生み出していくと思いますし、今後VR以降を代表するような新しい映像作家や映像制作スタジオというものも生まれてくるような予感もします。(そういう制作スタジオの芽はいくつか生まれてるようです)

そして、VRの映像に触れたことで、あらためて二次元の映像の良さも再確認出来た気がします。それは、作家が何かしらの意図を持って切り取った写真や映像に、その作家の思いや意思や価値観といった作家性がぎっちりと詰まっているところです。

何にでも言えることですが、表現の手段の新しさと表現の質の高さはイコールではないですし、どちらが優れている劣っているではなく両方を楽しんでいきたいなと思っています。

 

それでは観られるアプリごとに紹介していきます

【ブラウザ(YouTube)】

世界中で人気のあるNETFLIXのオリジナルドラマ「Sranger Things」で出てくる家の中を映像化したものです。ホラー表現としてはもっと怖いものもありますが、僕はこのドラマを観ていたのでとても面白く観れました。ちなみにホラー作品はVRと物凄く相性がいいです。360度どこで何が起こるかわからないということがそのまま恐怖に直結するからです(お化け屋敷もそうですね)

 

この映像では、のっち、かしゆか、あーちゃんが自分の周りをグルっと囲んで踊ってくれる(なんという贅沢)のですが、「好きな女の子」を自分で選んで観られる(観たい)という欲求とVRならでは性質がうまくマッチしてるなと思います

 

GHOST IN THE SHELL

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少佐がビルから飛び降りて戦闘するシーンが観られます。

Oculusの映像制作部門とDreamWorksが協力して作ったようです。

 

【COCO VR

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映画「リメンバー・ミー」の世界にどっぷり入ることが出来ます。

 

【Disney Movies VR

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美女と野獣ジャングル・ブック、モアナと伝説の海(のココナッツ海賊)などディズニーが版権を持ついろんな映画の映像を観ることが出来ます。

あえて一つだけおすすめするなら、ルーカス・フィルムの一番左、BB-8たちがじゃれてる?喧嘩してる?映像です。このアプリの映像全般に言えることですが、ストリーミングよりダウンロードして観る方がずっと綺麗なので観たいものはダウンロードして観るといいかもしれません。

マーベル関連の映像も「Coming Soon」と表示されていて、そのうち観られそうです。楽しみ。

 

【WITHIN】

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①②

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これら二つは、ドリームワークスで「マダガスカル」の監督を努めた人とピクサーで「トイ・ストーリー3」に携わった人が2015年に二人で立ち上げたBaobab Studiosという会社の作品です。ピクサーで『トイ・ストーリー2』や『モンスターズ・インク』の技術監督を務めた人も途中からCTO(最高技術責任者)として参加しています。

VRの映像は基本的にCGの延長線上にあるので、ディズニーやピクサー、Oculus(Facebook)のようなこれまでの技術の蓄積や資本のある大きい会社が引き続き強そうな気もしますが、こういう新しい会社がワッと盛り上がってくると面白い気がします。

 

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詳細不明ですが、音楽がJon Hopkinsなのでイギリスの作家さんでしょうか?

 

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これまでの映画史を辿りながら、歴史に残るオマージュをこれでもかと詰め込んだような作品。

10分の映像の中に僕が気づいた(わかった)だけでも、

月世界旅行から始まり、チャップリンフランケンシュタイン、ドラキュラ、キングコング、白雪姫、王様の剣ピノキオ、ワイルドバンチマカロニウエスタン(の何か)、タクシードライバーゴーストバスターズ、ゴッド・ファーザー、キル・ビル市民ケーンジョーズスターウォーズナイトメアー・ビフォア・クリスマスアバターバック・トゥ・ザ・フューチャー

のオマージュが含まれていました。

 

 

SAMSUNG VR

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Breaking Fourthというイギリスの制作会社のアニメらしい。

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去年公開の映画「キングコング:髑髏島の巨神」でキングコングに破壊されたヘリコプター乗組員の視点で作られた作品。

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「The Spacewalker VR

去年公開されたロシアの宇宙もの映画(らしい……僕は未視聴)

こういう感じで「ゼロ・グラビティ」を作り直したら最高なのでは?と思う

 

といった感じです。

コンテンツはこれからもどんどん充実してくると思うので楽しみに待ちたいなと思います。

若林恵「さよなら未来」を読んで

テクノロジーをメインに扱うWIREDというメディア、その元編集長である若林恵さんが2010年から2017年にかけた書いた文章を一冊にまとめた本です。

4月19日に発売されてすぐに購入し、4月中には読み終わっていたのだけど、感想を書くまでに自分の中で整理しなければならないことが本当に沢山あってこの文章を書くまでに時間が掛かってしまいました。

 

twitterなどで検索するとこの本について感想を述べている人はすでに沢山います。そして、テクノロジーに関する話題も多い本書ですが、感想を述べているのは編集者であったり音楽畑の人ばかりで、技術者からの感想はほとんど見当たりません。

その理由は「さよなら未来」というタイトルにも端的に現れていますし、本書の序盤で出てくる2010年に書かれた文章ではっきりと示されています。少し長いですが引用されてもらいます。

「煎じ詰めていけば、テクノ・エバンジェリストたちと、それに猛然と反発する人たちとのちがいは、テクノロジーが先か、人間・社会が先か、をめぐる見解の相違なのかもしれない。テクノロジーが変わることで、人間や社会が変わるのか。あるいは人間や社会が変わることで、テクノロジーのありようが変わるのか。音楽好きならば、エレキギターがロックの世界を変えたのか、それともジミヘンが変えたのか、と問うてみてもいいだろう。さあ、どっちだ。

一番慎重な答えをとるならば、「両方」ということになるのだろうが、それでも僕はどちらかといえば「ジミヘンが変えた」というほうに幾分か傾斜しておきたいと思っている。」

この価値観は本書の中でも一貫して通底しており、本書の発売に合わせた著者のイントロダクションではさらに強い言葉として書かれています。

つまり、若林恵さんの面白さというのは、テクノロジーを扱うWIREDというメディアの編集長をしてながら、根っこの部分の興味は常に人文学のほうに寄っていたというところであり、そういった姿勢や価値観、さらに文章の巧みさなどから、編集者や音楽関係者の厚い支持を得ている、というところなのだと思います。

 

さて、それでは今、日本や世界においてテクノロジーの最前線にいる人たちがみんな人文学を、あるいは人間や社会を軽視して物事を推し進めているのかというと決してそういうわけはないというのも事実です。むしろ、これからの時代に人や社会が豊かさを保っていくために真剣に頭をひねっている人たちが沢山います。

日本国内で考えてみましょう。

2018年の現在ですら、あらゆる業界で人手不足な状況で、就職も完全に売り手市場になってます。景気の問題もあるでしょうが、これから更に生産年齢人口は減少の一途を辿りますし、高齢者ひとりを支えるための現役世代の人数というのも更に減っていきます。

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そんなこれからの日本において、テクノロジーで解決できる問題はテクノロジーで解決していくしかないだろうということはかなりはっきりとしていると思います。

具体的には、(まずは運送業などの皮切りとして)自動運転車をガンガン走らせるとか、現金社会からスマホ決済やデビッドカード決済に移行してコンビニなどの無人化を進めるとか、AIで代替出来る仕事(業務)はAIに置き換えていくとか、VR空間で済むような会議や打ち合わせなどはVR空間で集まって行い、移動時間のロスを減らす、などです。

現実的な話として、こういった取り組みを今のうちから全速力で推し進め、国民一人当たりの生産性をガンガン高めていかなければ「これから先も日本国民全体の生活水準を現状維持する」ということ自体が夢物語なんだろうなと思います。

という前提を理解すると、テクノロジーを推し進めている人たち(仮にイノベーターとします)がやろうとしていることの正しさというものも見えてきます。しなしながら、イノベーターが変化を推し進めていくとそのあおりを食らう人たち、例えばそういった変化の中で職を失いそうな人たちからは猛烈な反発が出ます。それに対して、イノベーターの人たちがそういった批判の声にいちいち耳を傾けて足を止めていられない、と考える気持ちも凄く理解できます。何もせずに、足を止めていても人は歳をとるし、高齢化は進みます。そういった変化に対する勢いであったりスピード感というものが、「テック企業(やイノベーター)の傲慢さ」のような記事として世の中に出てくることも多いですが、自分がどちらの立場につくかによって見え方は大きく変わるはずです。今の僕個人の気持ちとしては、(全部が全部とは言わないものの)様々な変化を前向きに受け入れていくべきだと思ってます。

 

ただし、若林さんもこういったことは当然理解しています。

そして、イノベーターたちの正しい取り組みについては、それ自体を”勇気”と称しています。こういった両面の立場からの発言が本書の中には多く見られ、僕がこの本の感想を書くにあたって時間がかかってしまった理由でもあります。

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さて、先ほどあげた自動運転車の普及やコンビニ無人化が進み、AIが様々な業務を担っていく未来はほぼ間違いなくきそうです。

現在、運送業の人たちの労働環境の厳しさはニュースでも話題になっています。そういった人たちの日々の努力があって、僕たちは今インターネットで物を買う便利さを享受しているわけです。しかし、自動運転車が実用化されると運送業のドライバーは真っ先に置き換えられていくはずです。ついこの間まで残業続きで身を粉にして働いていたのに、いつのまにか自分の居場所がなくなってしまう。そうなった時に、そういう人たちに対して「自動運転車が普及するなんて前からわかってたことじゃん」とはなかなか言いたくない自分がいます。

都内のコンビニで働く外国人労働者にも同じようなことが起きてくるだろうと思います。

そうなった時、職を失った人たちがAIや機械に置き換えにくくて社会的に需要がある職業にスムーズにスライドしていけたらいいですが、おそらく事はそう簡単に運ばないような気もします。世の中の変化の早さに社会のセーフティーネットもうまく機能せず、社会からこぼれ落ちるような人たちもきっと出てくるはずです。

そして、僕自信も自分にさしたる能力があるとは思っておらず、この先の変化の中できちんと身を立てていけるのかという不安は常に抱えています。

そういった大きな大きな世の中の変化のタイミングで人の心を支えるものこそが人文学なのだろう、と僕は思います。

 

僕なりの要約にはなりますが、本書の最終章で若林さんはこのような話をしています。

「ここ数年の間にAI、ロボット、ブロックチェーンVRと要件は出揃ってきて、WIREDというメディアでその道を作ってきた。今後それらの技術が一気に世の中に出てくることはわかってて、その道を遡って舗装すればお金は儲かるだろうけどWIREDの編集長を離れるタイミングで別のことをやる」

といった話です。

これからの世の中の変化や盛り上がる場所を理解しながらも、自分の立場でやるべきことをやろうとしている姿は信用に値するなと素直に思います。

そして、新しく立ち上げた黒鳥社(blkswn)での活動は、この先の世界の変化の中で社会からこぼれ落ちた人たちの支えになるものになるのだろうという気がしています。

 

この本の中で僕が特に好きだった章がこれです。


努力はするつもりですが、僕も社会からこぼれ落ちるおっさんになるかもしれません。

それでも「どこかに居場所がある」、そんな世の中であってほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

VR、立体音響技術から始まるこれからの音楽の形

いきなりタイトルから大きく出ましたが、「これからの音楽」についての僕が持っているイメージを説明してみようと思います。

ただ、僕は技術者でも音楽家でもないただの音楽ファンなので、技術面でも音楽面でも間違ったことを書いてしまうかもしれません。

その時はお手柔らかにご指摘いただけると嬉しいです。僕自身、自分の持っているイメージがどこまで正確なものなのか測りかねており、なおかつ純粋に興味があって正しく理解したいからです。よろしくお願いします。

前置きも無駄に長く、長文になります。お付き合いいただけたら嬉しいです。

 

音楽とテクノロジーの関係】

そもそも今当たり前に存在する楽器もかつては新しいテクノロジーだったはずです。一定の長さ、一定の張力で張った弦を打弦したり、撥弦したり、擦弦したりすると決まった音が出るということに誰かが気づいて様々な楽器が発明されました。そして、音の高さにルールを設け、その決められた音を使って西洋の音楽理論が体系化されてきました。

その後もテクノロジーと音楽の関係は親密です。マイク、アンプ、スピーカーが発明され、アナログな音を電気信号に変換して音量を増幅出来る様になると、大編成のオーケストラやビッグバンドでなくとも、つまり小編成のバンドなどでもライブで色々な表現が出来る様になりました。

1960年代にエレキギターが普及すればジミヘンが登場し、1970年代にシンセサイザーが普及すればクラフトワークYMOが登場します。音楽の発展や進化とテクノロジーは常に隣り合わせです。

しかし、クラフトワーク登場以前にシンセサイザーがなかったのかというと全くそういうことはありません。シンセサイザーは1930年頃から開発が進められ、1950年代からはミュージック・コンクレートという現代音楽のいちジャンルの中で、また日本でもNHK音楽スタジオで黛敏郎武満徹などによって音楽としての応用が研究されてきました。1971年には冨田勲さんが(当時の価格で)1000万円でモーグというシンセサイザー個人輸入しています。

そうして、1974年にようやくクラフトワークの「アウトバーン」というアルバムで電子音楽が大衆に広まるわけです。(ちなみに冨田勲さんのモーグでのデビュー作「月の光」も同じ年です)

音(音楽)に関する新しい技術は、初めは技術者と本当に先進的な現代アーティストの間で研究がなされ、少しずつ技術の扱いが容易になり、機材などの価格がなんとか手の届く範囲にまでコモディティ化したところでようやくその技術が民主化され、広く世間に聴かれる音楽、つまりポップミュージックに浸透していくことになります。

では2000年以降の音楽について考えてみましょう。

2000年以降の音楽についてテクノロジーを絡めて話をするならば、「PCの普及と性能向上に合わせて進んだ音楽制作現場の民主化」と言ってしまっていいと思います。PCの性能向上とともにDAWで出来ることがどんどん増え、少しずつソフトシンセや機材の価格も下がってきます。そんな中で、例えば日本では2007年頃にPerfumeのような存在がドカンとポップシーンに現れるわけです。

しかしですね、2000年から2018年の今に至るまで「音楽制作現場の民主化」以外の大きな地殻変動って実はなかったんじゃないかと思います。

僕個人のことで申し訳ないですが、2010年からせいぜい2012年くらいまでは、例えばテックハウスやミニマルテクノといったエレクトロニックミュージックにも関心を持って聴いていました。しかし、その後はArcaのような突出した例を除けば、僕個人の音楽の興味はだんだんと人が演奏する音楽に戻っていきます。特に難しい理屈を考えてそうしていたわけではなく、多分自然に飽きてきただけです。きっとDAWで出来ることの可能性がかなり出尽くしてきた時期だったのかもしれません。

そんなタイミングで僕を含めた日本の音楽好きの間で大きな話題となったタームといえば「Jazz The New Capter」です。

ジャズとヒップホップを掛け合わせたロバート・グラスパーやケンドリック・ラマーの3rdアルバム、J DIllaなどの揺らぎのあるビートやエレクトロニックミュージックのビートをドラムで表現したクリス・デイヴやマーク・ジュリアナが話題になります。

僕なりにこれがどういうことだったのかを言葉にしてみると

DAWというテクノロジーによる音楽の更新に停滞感が出てきた中で、人が創意工夫によって生み出した新しい価値」

となりそうです。

要するに、新しいテクノロジーが音楽に入ってきた時はアイデア一発勝負でも新しい価値を生み出せるけれど、DAWで出来る新しい表現が減ってきた2010年代中盤以降の難局に、音楽ファンに新しい価値や新鮮な驚きを与えられるのは技術と知性を持ったジャズミュージシャンだったってことだと思います。

インターネットに例えるとわかりやすそうです。インターネット黎明期にはクソみたいなサービスでもみんな喜んでいましたが、今となっては新しい価値や驚きを提供するのは高い技術と知性を持ったGoogleAppleFacebookばかり、そういうことです。

 

だけど、僕は今、立体音響を扱う技術の民主化が目前まできており、「立体音響技術を用いた音楽」が新しい表現の可能性を生み出していくような気がしています。その鍵となるのはVRバーチャルリアリティ)です。

 

【現在の立体音響音楽】 

現在の立体音響を用いた音楽は概ねサウンド・アートと呼ばれる芸術のいち分野とされます。これはシンセサイザーと使った音楽がミュージック・コンクレートと呼ばれた時期と同じかと思います。

アプローチとしてはふた通りあるように思われます。

①「現実空間の中でたくさんのスピーカーを用いたマルチ・チャンネル音響作品」で会場を使ってインスタレーションのような形を取るもの

更にここから少し進んだ最新の状況として、

②「プログラムによって作られたマルチ・チャンネル音響作品」

というものがありそうです。

坂本龍一さんがサンコレと共同で開催したマルチ・チェンネル音響作品のコンテスト「設置音楽コンテスト」で以下のような総評を出しています。

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せっかくなので、このコンテストで優秀賞を取られた松本晃彦さんの音楽をヘッドホンで聴いてみましょう。

めちゃくちゃ面白いです。

おそらく自作された二次元の画面のDAWで音を空間のどこに配置してどう動かすかをプログラミングしているんだと思います。こんなことは本当に素晴らしい技術を持った人しか出来ないはずです。

ですが、VRの技術がこれから普及してくると、三次元の空間の中に誰しもが直感的に音を配置出来る様になるんじゃないかと僕は思います。

2020年にはAppleVRに本格参入してくるようです。これは僕の勘ですが、Logic、iTunesiPodApple Musicと音楽にがっつり向かい合うAppleなので、2020年以降のどこかで立体音響音楽を簡単に作れるような3DのDAW、つまり次世代のLogicを出してくるんじゃないかなと予想しています。

 

 

【僕なりに思い描く3DのDAWのイメージと実現可能なこと】

まず、現状のVRにおける立体音響技術のまとめ記事です。

おそらくですが、 3DのDAWは【現在の立体音響音楽】 の①と②を掛け合わせたようなことをVR空間で行うものになるような気がします。

音楽制作の流れのイメージを書いてみたいと思います。

⑴ VR空間の中に①でいうところのインスタレーションの会場を作ります。会場の大きさを決め、残響などの音場設計をシミュレートして設定します。現実のインスタレーション会場と違い、VR内で作る会場は曲と途中で(例えば◯小節目からなどの)変更も出来そうです。つまり、ものすごく残響の多い閉じた閉鎖空間(世界)から一気に開けた空間(世界)に移動するような音楽上(音場上)の演出も可能になりそうです。

⑵ そのVR空間(会場)の中で聴き手の立ち位置を設定します。

⑶ そのVR空間の中にMIDIファイルやオーディオファイルを配置したり、そのファイルが聴き手に対してどのように動くのかを決めます。例えば、長い音価のシンセ音があったとしたら、「その音が聴き手の2メートル離れたところを1周に2小節かけてグルグル回る」みたいなイメージです。VRの空間の中で音の動きを視認しながら直感的に設定できます。現実のインスタレーションでは予算などの関係で配置出来るスピーカーなども限られますが、VRの中ではデバイスのスペックが許す限りいくらでも空間に音を配置出来そうです。

 

どうでしょう?想像出来ますかね?「こんなもんありえねー」と思いますか?僕も100%の自信があるわけではないですが、イメージは出来てしまいます。

 

 

VR、立体音響以降の音楽がポップスに下りてくる時】

もしこういったことが実現可能になり、こういった技術を使って生まれてくる音楽がいつかポップスにまで下ってくるとしたらそれがいつなのか……。例えるなら2007年の時のPerfumeのような存在がいつ出てくるのか。

とりあえず、2025年くらいと考えてみるのはどうでしょう?

では、次のPerfumeのような存在をプロデュース出来る人物は誰なのか。これまでの音楽と新しい音楽の両面に深い造詣があり、なおかつその気になれば極上のポップスに振り切ることも出来るであろう人物。

本人に全くその気がなければごめんなさいしますが、僕がパッと思いつく範囲で考えたなら、例えば 網守将平さん が頭に浮かびます。