Oculus Goで観たいMV25選
一体型VRヘッドセットOculus Goが手元に届いてから、これまでに自分が好きで観ていたMVを観返すことにハマっています。
これは単に「好きなMVが大画面で観られる」という喜びを超えて、新しい体験をしているような感覚です。
例えば、映画では「これは映画館で観るべき映画」という表現がよくされます。「映画館でとても気に入った映画をBDで観てみたら映画館で観た時のような感動は全然得られなかった」という体験をした人も多くいると思います。
そして、これまでPCのモニターやテレビでしか観られなかったMVがスクリーンサイズで観られるようになった今、これとは正反対のことが起こります。
「PCで観ていた時と比べて何倍もヤバイ」という体験です。
これまでMVの中の情報をいかに見落としていたのかにも気付かされました。
なのでOculus Goで観返してみて最高だったMVについて書いてみたいと思います。
よかったら参考にしてみてください。
選ぶ基準として、
①音楽も込みで楽しめたもの
②画質が1080P以上(1080Pの中でも綺麗に観られるものと観られないものがあり、ある程度綺麗に観られるもののみ選んでます) そのため比較的最近の動画が多いです
次に、観ていただく上でのお願いとして、
①Youtubeアプリで全画面表示、背景色を「ダーク」にしてほしい
②Oculus Goのスピーカーで物足りなければイヤホンを使うなどして音楽も楽しんでほしい
といった感じです。よろしくお願いしまします。
(1)
まだ世の中にあんまり出回っていないですが、VR以降のMVがどういうものになるのか、これを観ればわかる気がします。
まだ全く手がつけられていない領域で、新しい表現の可能性が無限に広がっているのかと思うと、これからどんなものが出てくるのか本当にワクワクします。
PCの再生でもなんとなく体感できるように作ってありますが、VRゴーグルで観る体験は全くの別物です。
Perfumeが好きな人も、かつてPerfumeが好きだった人も絶対に体験してみてほしいです。驚き共に大きな感動があると思います。 全画面表示+360°表示 で観てください。
(2)と(3)は4K(2160P)映像です。Oculus GoでMVを色々と観た印象として、これからはこの画質がスタンダードになっていってほしいなと思います。
(2)
苦手な人もいるかと思いますので、そういう人は飛ばしてください。
(3)
柴田聡子さんのとても素敵な曲です。しかし何故これが4Kで作られたのかは謎。
普通にPCではじめて観た時も結構衝撃でしたが、Oculus Goで観ると映画館のスクリーンの左半分に3分弱顔のアップが映っているというような超衝撃映像になります。
柴田さんはこういう観られ方を想定していたのかどうか……。
続いて、海外の音楽です。
(4)
AppleのHomePodのCMですが、ほぼMVみたいなものなので
(5)
かっこいい
(6)
大画面で観ることで、ブルーノ・マーズ以外の人物やアクセサリーなどにも物凄い情報量があることに気付かされました
(7)
観終わった時の「サンキュー……ニューヨーク……」という気持ちになります
(8)
顔!顔!顔!最高です。
(9)
ピアノの機構って美しいなと
続いてKPOP枠です。 KPOPは「曲良し、MV良し、女の子良し」とOculus Goに最適なコンテンツかもしれません。
(10)
(11)
(12)
(13)
最高……。KPOPはさほど詳しいわけではないので、もっと色々観てみたくなりました。
続いて日本の音楽です。
(14)(15)
Corneliusの去年のアルバムからの2曲です。
Oculus Goで観る「いつか/どこか」のMVは、PCで観ていた時とは比べ物にならないくらい素晴らしい体験に思えました。是非比べてみてください。
(16)(17)
モニターで観るのと比べ、何倍もドラッギーな体験に
(18)
もともとMV自体は特別好きではなかったけど、Oculus Goで観返して評価を改めました。モニターで観るのとは全然違う体験に。
(19)
躍動する満島ひかり……最高……
(20)
やべ〜勢いですげー盛り上がれます
(21)
この作りでありながらスマホで縦表示出来ない謎仕様だった本作
もう大画面で観ちゃいましょう
最後にアイドル枠です。
(22)
(23)
(24)
(25)
本家48の水着ものMVは古いものが多く画質がいまいちだったのと、SNHのこれを初めて観た時の驚きに従ってみました。
以上、25本でした。
全部観てくれた方も、興味のあるものだけ観てくれた方もありがとうございました。
音楽とお金について
今日、この記事をみました。
Appleが、年々売り上げが低下していく音楽のデジタルダウンロード販売を終了してサブスクリプションサービスApple Music一本に絞る方向で考えているとのこと。これはもう抗えない時代の流れだな、と思います。
思えば、レコードやCDといったメディアも元々はその時代時代の技術でいかに効率よく音楽をパッケージして人々に届けるか、といったものでした。
今もミュージシャン、リスナー共にレコードやCDといったメディア自体への愛着を持っている人は沢山いると思いますし、それ自体は全く否定すべきことではないと思います。
ただ、「音楽が世に出てきて、それが聴かれる」ということの本質に立ち返ってみると、
ミュージシャンにとっては「自分の音楽を聴いてもらいたい」「それで得たお金で生活をして、次の活動に繋げたい」ということであり、
リスナー(ファン)にとっては「その人の音楽を聴きたい」「その人の活動に貢献したい」
ということではないかと思います。
Apple MusicやSpotifyといったサブスクリプションサービス(以降サブスク)の登場で、ミュージシャンにとっての「自分の音楽を聴いてもらいたい」という欲求は(実際にどこまで聴かれるかはさておき)リリースと同時に世界全体に公開されることで環境的には充分に満たされ、ファンにとっての「その人の音楽を聴きたい」という欲求もほとんどタダ同然で満たされるようになりました。いってしまえば、「音楽を効率よく届ける」というこれまでの音楽のメディアの変遷が行くところまで行ったという話で、ある意味自然な流れとも言えそうです。そして、一概に悪いことばかりとは言えないと思います。
問題は、ミュージシャンにとっての「それで得たお金で生活をして、次の活動に繋げたい」という部分と、リスナーにとっての「その人の活動に貢献したい」という部分が全く満たされなくなったことです。
サブスクには、曲が再生される度にそのミュージシャンに少額のお金が入るという、これまでの音楽のメディアとは違う性質があります。要するに広く長く聴かれれば、その分継続して収入を得られるわけですが、よしんばそういった幸運にミュージシャンが恵まれたとしても次作の制作費が貯まるまでに長い時間がかかってしまいます。そして、大半のミュージシャンがサブスクからの収入で元々の制作費自体をペイ出来ていないのが現状ではないかと思います。
僕はこれまで「サブスクで聴いて、気に入ったらCDを買う」といった形で好きなミュージシャンの活動にささやかながらでも貢献出来たらと思ってきましたが、正直に言うと、たまに取り出して歌詞カードを読むことはあっても基本的には一回パソコンに取り込んだら大体の作品はすぐに棚の中に仕舞っています。そして、”物”に対する執着も年々無くなってきていますし、そういった傾向は今の時代においては多分僕に限ったことではないだろうと思います。物に対する執着がなくなっていくと、ミュージシャンに貢献するという目的において「CDを買って支える」ということの効率の悪さが嫌でも頭に浮かびます。僕はプレス工場や小売店、物流コストにお金を払いたいわけではないからです。
ミュージシャンの側から考えた場合はどうでしょうか?もちろん、自分の作品をCDやレコードといった形として残したいという気持ちがあるのは理解出来ます。もしくは、自分の作った作品で次に繋がるお金を得る方法としてCDはまだ必要という人もいると思います。しかし、これからますますCDが売れなくなる時代がくることは明らかです。今であれば、音楽には”ライブ”という音源とは別の体験があり、そちらで得た利益で活動するということも可能かもしれません。(ちなみに映画には”映画館”という上位体験があります)ただ、それも長い目でみればバーチャルリアリティの中でのライブや映画館の疑似体験によって、体験としての希少性や優位性も今ほどは保てなくなるかもしれません。
ここで、音楽産業にまったく関わっていないイチ音楽リスナーからの無責任な提案ではあるんですけど、「QRコードを使った投げ銭」ってうまく使えないでしょうか?
中国では既にスマホを使ったモバイル決済、例えばアリペイやウィーチャットペイが当たり前のように普及しています。
日本ではようやくこれから普及していく段階ですが、おそらく2020年の東京五輪くらいまでにこういったアプリが使いやすい環境が整えられ、使用する人も増えてくるだろうと思っています。
例えば、LINEにお金をチャージしておいて使用するLINE Payや、銀行口座から直接送金するMoney Tapでは、アプリでQRコードを読み込んで払いたい金額を入力するだけで送金が可能です。クレジットカードを持つ必要もありません。
ミュージシャンからすると、必要な手間は自身のQRコードを公式サイトやSNSに貼っておくだけです。メジャーと契約してる人は難しいかもしれないですし、インディーでも独立独歩の人以外はレーベルとの取り分の相談が必要になるかもしれませんが試すのは簡単です。
リスナーからすると、好きなミュージシャンに対して、自分がその人の作品に感じた価値に見合う金額を任意に決めて、手軽に、ロスなく好きなミュージシャンに送金出来ます。仮に1,000円のCDを買っていたら、そのうちの100円くらいしかそのミュージシャンの手元に入らないかもしれませんが、1,000円を送れば1,000円がそのままミュージシャンの手元に入って次の制作に繋がります。個人的にはこのあり方は凄く健全だなという気がします。もっというと、「サブスクで聴いてみて結構よかったから100円投げた」くらいのカジュアルな感覚でこういった行為がドンドン行われるようになるといいなと思います。というのも、デジタルに変換出来る(つまりインターネットに乗せることが出来る)あらゆる娯楽(音楽、映像、漫画など)の作者は今後そういった形を取らないとこれまで以上に継続して活動していくのが難しい時代になるんじゃないか、という気がするからです。
「サブスクでタダで聴いた上で何のメリットもなくお金を払う人なんてそんなにいない」とか「BandcampのName Your Priceみたいなもんじゃん」って意見もわかりますが、音楽オタクしか登録していないBandcampとは違ってスマホを持っているあらゆる人が対象になりますし、手間もかからないので試してみるのはありかなと思います。
現状、ミュージシャンはサブスクでほぼ無料で音楽を公開しているようなものなので、こういったことを物乞いのように思わずに堂々とやってほしいですし、ファンにとっての「その人の活動に貢献したい」という欲求が効率よく満たされるための窓口としてあってもいいのかなと思います。
この不安解消してほしいんだけど、、、
ブームから数年遅れだけど、トマ・ピケティの「21世紀の資本」を読んで雷に打たれたような衝撃を受けた。政治にも経済にも特別明るいとはいえない自分だが、これまで見聞きしてきた様々なニュースや格差についてのひとつひとつの記事から得た情報が線で繋がって、今の世の中に対する自分なりの認識を持つことが出来、それは明るいものとは決して言えなかった。素人の妄言かもしれないし、むしろそうであってほしいんだけど、一人で抱えてると不安なので誰かに聞いて(読んで)もらいたい。
「21世紀の資本」と現在の格差
トマ・ピケティは「21世紀の資本」で「資本収益率が、産出と所得の成長率を上回るとき資本主義は恣意的で持続不可能な格差を自動的に生み出す」と結論づけた。
噛み砕いて言うと、「資本主義社会において、お金を持ってない人と比べて元々お金(資産)を持ってる人はお金がお金を産んでどんどん金持ちになっていくよ。特に経済成長が落ち着いてくると差がどんどん出てくるよ。その結果、格差は社会が持続出来ないくらいまで進むよ」となる。まぁなんとなく知ってた話だが、それを膨大な調査によって実証したところがピケティの功績ということらしい。
いま、日本で普通に生活をしていても格差についての話は嫌でも目にすると思うけど、国内における格差は日本に限らずアメリカやヨーロッパなどの世界中の国でも大きくなっているみたいだ。
また、世界全体でみた格差もかつてないほど広がっているらしい。
1900年以降から現在までの間に同じように世界の格差が広がった時期があったけど、その時に何が起こったかというと第一次世界大戦、そして第二次世界大戦だそうだ。
要するに戦争という命に関わる状況になることで、ようやくお金持ちが自分たちの資産を戦費として徴収されることに同意せざるを得なくなり、お金持ちの資産が再分配されて富の偏りがなくなる、そして戦後になって資本主義が持続可能な格差に戻った後、再度資本主義を回していく、ということをここ100年の間に二回繰り返したことになる。1900年以前にも各国で格差が広がった時期があったが、その時に起こったことが例えばフランス革命であり、日本なら一揆となる。現在は世界が繋がっているグローバル社会なので、それが世界大戦になってしまうということみたいだ。
日本の戦後を生きた人たちが復興で大変だったのは確かだろうが、日本でも戦争で富の再分配が起こって国内の格差がなくなり、その結果若い人たちにもしっかりと給料が支払われ、若い人たちの消費によって戦後急速に経済が成長していったということになる。アメリカでも同様のことが起こったけど、現在のアメリカ国内の格差は現在第二次世界大戦と同じ水準にあり、更に広がっていきそうな感じだ。
まとめると、「現在の資本主義のシステムでは格差は拡大しつづけ、少なくともここ100年の間に二回、世界大戦に発展した」となる。資本主義、なんて欠陥品なんだ……。
ピケティは本書でそれに対する解決策も提案する。それは「資本に対する世界的な累進課税」とのことらしい。噛み砕いて言うと、「所得だけじゃなく、お金持ちの資産(貯蓄、不動産、金融資産、事業資産etc)からも持ってる額に応じて税金取るで!しかも世界中の国でいっせいにや!」となる。
だけど、資本主義を導入しているすべての民主主義国家でこういった税制の法律を通そうとなると、世界中の国のあらゆる人が「自分の資産がたとえ減ろうとも、それによって世界が安定するなら協力する」というマインドセットになる必要がある。それはたぶん現状無理だと思う。そもそも政治家が資産家だったりするのでそもそも議題になるのかどうか……。
ネタバレになるけど、今年上映された「ブラックパンサー」という映画はまさにそういう映画だった。この映画のラストは「国王である主人公が世界の争いごとを回避するため、自国にとって不利益になることも覚悟の上で世界の国々に自国の技術や資源、つまり富を再分配をする」というものだった。この映画がアメリカから出てきたことにはとても意味があると思うけど、おそらくアメリカが国力を低下させるリスクを追った上で、世界に先立ってこの税制を導入するのは難しそうだ。
トランプの「アメリカ・ファースト」、アメリカ第一主義とは多分そういうことだと思う。おそらくこれから何年後かはわからないけどアメリカと中国の争いが火種となり世界大戦へと向かっていく可能性は十分にあるような気がする。その理由を自分なりにまとめてみたけど、考えれば考えるほど不安になるので、誰か大丈夫だよって言ってほしい。
もし世界の国々で資本に対する課税が導入出来るとしたら、この第三次世界大戦を経て、世界中の人たちがその反省から価値観を転換させた後になるのかなとかも思ったりする。
中国の現状
以下に貼った最近の幾つかの記事からわかることですけど、
中国全人代、国家主席の任期撤廃 習氏3期目可能に :日本経済新聞
中国14億人「完全管理」へ AI監視カメラ+顔認証+ネット履歴+犯罪歴…… (1/4) - ITmedia NEWS
顔認証メガネで旅行者をスキャン —— 中国、すでに7人を駅で逮捕 | BUSINESS INSIDER JAPAN
まず、そもそもとして一党独裁政権の国家主席の任期を撤廃するという話、普通に大ニュースじゃないですかね?その憲法の改正の投票が無記名であるのも関わらず3000人中2958名が賛成っていう異常すぎる権力の集中は本当にやばいと思う。
その上、中国国内のIT企業も完全に管理下に置いて情報統制が出来、町中のAI監視カメラがネットワークと繋がって顔認証で個人をすぐに特定でき、警察官が顔認証メガネで人々を監視しはじめてる状況ですよ。
これ、習近平の思いひとつで思想犯(と政府が認定した人間)の取り締まりが楽々出来ちゃう状況ですよね。デモで街に出てても、すぐそれが誰なのか特定されてしまう。IT技術を手にしたナチス親衛隊、ゲシュタポみたいな方向に行くような未来しか見えないですけど大丈夫なのかな?って思いませんか?国家主席の任期を撤廃すると報じられた時に中国国内でもかなり反対の声が上がったらしいですけど、そこで声をあげた知識人たちを今後の思想犯予備軍としてリストアップしててもおかしくないなって思います。
人口が14億人近くいて自国内で経済がほぼ周り、IT技術もまさにアメリカに追いつかんとしているナチスドイツみたいな国が日本のお隣に出来たらどうしようってビビってます。中国の動向は本当に注意深くみていかないといけないなと。
北朝鮮情勢
ここしばらくの間に大きな変化がありました。平昌オリンピックでの韓国との友好ムードの演出があり、米朝首脳会談の実現が決まりました。核ミサイルの取り扱いについても北朝鮮が譲歩するようなことを言っていて、まだ信頼出来ないですけど米朝の緊張はやわらぎそうです。
でも多分これって、国際社会から孤立して中国との貿易が貿易額の9割を占める北朝鮮にとって、米中の戦争が始まって中国側につくことになると実質中国の従属国みたいになるので、今のうちに国際社会側に近づいて、戦争ではアメリカ側につきたいって話でしかないと思うんですよね。違うかな?
戦争になった時、中国から「お前核ミサイルをアメリカに打てよ」って北朝鮮が言われても断れないし、打った後の責任を中国は取らないですよね多分。そういう話なのかと。小国の独裁者が大国の独裁者を恐れただけっていう……。
日本の今後
で、これが佐藤正久外務副大臣の今年の3月15日のブログなんだけど、
なんていうか、もうこの先アメリカと中国の戦争に至るというのが不可避である、という書きぶりですよね。
この戦争は第二次世界大戦の続編みたいな気がして、
競い合うのは、科学技術ではなくIT技術
って感じで、市場経済のシステムを取り入れて第二次世界大戦時の社会主義の弱点を改善した形での社会主義国家からのリベンジなのかと。
そうなってくると、アメリカ側には韓国、日本だけでなく、フランス、イギリスとかも当然加わってきて、中国側にはロシアがつきますよね、みたいな。
安倍政権以降、この極東アジアが戦場になる戦争で中国と地理的に近い日本が国土を守るためには日米同盟に守られた専守防衛では無理だから、憲法を変えて教育も変えて、戦争出来る体制を整えるのが急務という考えで突っ走ってきたんだと思うと全て腑に落ちるというか。そして、その大義のためなら、国民への嘘も法案の強行採決も、公文書の改ざんも辞さない、ってことだと思うんです。それが飲み込めた時に、なんかあーあ、これはマジっぽいぞと。日本会議国会議員懇談会のメンバーに軍事、防衛のスペシャリストである石破茂もいるのね……あぁなるほど……って思ったというか。
この戦争について
正直、もしそうなったら民主主義国家にとっては超やばい相手だなって思います。
この戦争では世界各国がIT技術を兵器、諜報、情報統制、監視などなどにフル活用することになるはずで、国家間のハッキングなんか当たり前になりそうなので、多分公文書なんかはブロックチェーンで運用するのは必須ですよね。
世界中の国の人が自国に対する安心感を喪失し、国の信頼の上に成り立っている自国の通貨への信頼も揺らいで、そういう大きなパラダイムシフトの時にビットコインなどの分散型暗号通貨が世界中でほぼ同時に実利用されはじめるのかなとも思います。そして、戦後の世の中でVR(バーチャルリアリティ)という技術が大きく育ち、VR空間という国境のない大きな一つの国のような世界の基軸通貨になっていくのかも。
科学技術を競った第二次世界大戦の最後に「核」という現在でも扱いきれないものが生まれたわけだけど、この戦争でも何か生まれるのかもしれない。例えば……量子コンピューター×AI(人口知能)で生まれる超AIみたいな……。
第二次世界大戦後の世界では核を含めた科学技術の善用悪用という話がめちゃくちゃ大きな課題になったと思うんですけど、第三次世界大戦後はIT技術の善用悪用がこれまで以上に大きく問われることになりそうな気がします。
いずれにせよ本当にこの世界大戦が起こってしまい、もし中国側が勝ったら、つまり第二次世界大戦でドイツ側が勝った世界線みたいなものなので暗黒時代に突入する感じありますよね。
でも中国は歴史上何度も世界のトップに立っている。
大丈夫かな??不安で不安で。
AI(人工知能)、VR(バーチャルリアリティ)、ビットコインが合流していく未来
これから僕が書く未来予想図がどこまで現実的なものなのか全然わからないですし、実際の開発の現場にいるわけでもなく技術的な裏付けを持っているわけでもない僕がどこまで書いていいのかももはやよくわからないのですが、こんな風になるのかなー、なんて考えていることをまとめてみました。
世の中や科学、テクノロジーが発達していく時、独立した何かがそれ単体で大きくなっていくというイメージではなく、色々なものが相互に繋がって新しい何かを生み出していくと考えないといけません。Aという研究結果とBという研究結果を土台にCという研究がなされます。あるいはAというテクノロジーとBというテクノロジーを土台に新しい製品やサービスが生まれ、世の中を変えていく。といった感じです。
AI(人工知能)とVR(バーチャルリアリティ)、ビットコイン(を代表とする非中央集権型の仮想通貨)について語られる時、現在ではそれぞれの技術単体で何が出来るかという話が中心になりがちですが、それぞれが少しずつ育っていった未来ではこれらの技術が合流し、新しい社会や文化を作っていくのかなと僕は考えています。この記事ではそんな未来の予想図を描いてみたいと思います。
【それぞれの技術の現在】
AI(人工知能)
近年のディープラーニングのブレイクスルー以降、急速に発展しています。この3つのテクノロジーの中では、最も世の中に入り込んでいるものになります。これからはIoT(モノのインターネット)という時代がきて、あらゆるものがインターネットと繋がり人工知能が搭載されていきます。Google Home、Amazon Echo、HomePodなどのスマートスピーカーが先鞭をつける流れとなりそうです。AIに関してはすでに実用レベルに達していますが、これから先を含めた長い目でみたときに現在はまだ完全に序章で、行き着く先は全く見えていません。
VR(バーチャルリアリティ)
説明が難しいけど、コンピュータ上に作られた世界、及びその世界に実際の感覚を伴って身を置く技術のこと、という言い方でいいだろうか。
Facebookが母体となっているOculus社のOculus Riftやマイクロソフト社のHoloLensを中心にVRを実現するためのデバイスが出てきていますが、まだまだこれからの技術です。当面はゲームなどのエンタメの分野を中心にお金が回る仕組みを作っていきながら大きく育っていくことと思います。
VRの技術が発展していくと、もちろん現実では体験出来ないことをバーチャルな世界の中で味わうことも出来ますが、かつての「セカンドライフ」の再チャレンジのような流れにはなってくるのかなと思います。セカンドライフが失敗に終わった理由はおそらく簡単で、当時の技術では仮想世界のモノの価値や利便性が現実世界のそれと比べて著しく低いにも関わらず、その物珍しさが投機に結びついてしまったからです。セカンドライフの頃と比べ、現在は様々なモノが電子情報になっており、今後もその流れが進むため、ヴァーチャルリアリティの中で受け取るモノの価値と現実世界でのモノの価値の差は埋まってきています。さらにはその仮想現実の中で出来る表現であったり、発信出来ることが生み出す価値も全く変わってきます。ここでは、そういった方向性での想像を膨らませてみたいと思います。
ビットコイン(を代表とする非中央集権型の仮想通貨)
PoWをコンセンサスアルゴリズムに採用する通貨としての機能に特化した仮想通貨は、国や企業といった管理者を持たないお金です。
現在はまだ投機によって売買されている状態で、社会的にもまったく制度や環境が整っておらず、仮想通貨自体のエコシステムもこれから整えていく段階です。さらにスケーラビリティ、送金手数料、ボラティリティなどの様々な課題を抱えています。しかしながら、それらは技術の発達と時間の経過によって少しずつ解決に向かっていくのではと思います。
そうなった時に、これからの未来において、相手(人間性やその人の住んでいる国、その他あらゆること)を信頼していなくても、その相手との間に企業や国を通さなくても、個人間で問題なくお金のやりとりが出来る非中央集権型でトラストレスなお金が意味を持ってくると考えています。それについては後々説明します。
【人の考え方や価値観について】
世の中が変わっていく時や新しいものが広まっていく時には、テクノロジーの進歩とともに人間の考え方や価値観も変わっていかなければなりません。テクノロジーが人間の価値観を変えることは勿論ありますが、その時代の人の価値観で全く理解出来ないものは普及しません。そして、たくさんの人の価値観が一気に大きく変わることはないので段階を踏んでいく必要があります。
ここ10年の人の価値観の変化を考えた時に、SNSの存在抜きには語れません。
個人がそれぞれにメディアを持ち、自由に自分自身を発信出来るようになりました。そして人は誰かの発信する情報に価値を見い出し、「いいね」をつけます。その流れで出てきたのが、数万人単位のフォロワーを持つtwitterユーザーであり、ブロガー、インスタグラマー、YouTuberなどです。なんとなく嫌煙してしまう人も多そうですし、それが駄目ではないと思いますが、出てきたことは必然だと思います。
さて、次に起こること、起こってきていることは個人が発信する何かに、それを受け取った個人が直接お金を払うということです。
わかりやすい例がSHOWROOMの生配信サービスです。個人がリアルタイムの動画配信を行い、それを観ている人がギフトという形で投げ銭を行っています。今はこういったあり方の黎明期なので、出ている人はアイドルが多いです。そのため、性的な価値にファンが投げ銭していることに違和感を覚える人がいるのはわかります。ただ、これから少しずつこういったサービスが広まってきて、感動や知的興奮をくれる人の配信に投げ銭をするようになってくると思います。例えば、亡きスティーブ・ジョブズがもし生きていて、新商品のプレゼンをする映像をこういったサービスの上で行ったら、きっと多くの人が投げ銭するはずです。日本で言えば落合陽一さんが語る未来にも投げ銭したい人は多くいるのではと思います。noteというメディアはテキストと画像などを使って個人がそういった価値を発信し、投げ銭を行うサービスともいえます。
さらに時代が進むと、twitterの「いいね」のようなカジュアルなところでも、例えば1円単位での少額の投げ銭が出来るようになっていくかもしれません。
さて、ここで少なくとも二つの疑問が浮かびます
一つは、「あれ、僕はあの人に100円を投げたのに、なんでプラットフォーム(SHOWROOM)が何%か持っていくの?」ということ、もう一つは「国を跨いだ投げ銭ってどうすれば出来るの?」ということ。
国を跨いだ投げ銭は、それがある程度まとまった額であればプラットフォームを通してクレジットカードなどを使って今の世の中でも実装出来そうです。しかし、少額の投げ銭は現在の海外送金のあり方では実現が難しい。こういったケースにおいては個人間で国を跨いでリアルタイム送金が出来る仮想通貨に優位性が出てくるのは間違いないだろうなと思います。
続いて、最近面白いものが出てきました。バーチャルSHOWROOMERの東雲めぐです。東雲めぐについてはこちらに詳しく書きましたのでご覧ください。
東雲めぐはまだ今年の3月に出てきたばかりなのでこれからますます人気が出ていくと思いますが、今の時点でファンの熱は熱く、投げ銭もガンガン行われています。
ファンは東雲めぐの発言や動作が声優によるものだと知っていますが、声優のファンというわけではなく、東雲めぐというバーチャルな存在自体のファンとして投げ銭してるように思えます。
さて、それではこの先AIが更に進歩して人間らしい振る舞いが出来るようになり、東雲めぐの声優の役割をAIが担うようになった時、人はガワもバーチャル、中身もバーチャルの存在に果たして投げ銭をするでしょうか。初音ミクもある意味それに近いプロジェクトですが、初音ミクには音楽という付加価値がついています。そうではなく、AIが普通の人間のように普通に喋っている状況に投げ銭が行われるのかということです。
ここが少し未来の人間の価値観の変化における大きな壁になりそうですが、僕は多少時間がかかっても投げ銭がおこなわれるようになると思っています。
外見の話でいえば、sayaというプロジェクトにも触れなければなりません。
不気味の谷を超えたsayaのような存在にAIが乗って喋り出した時、人はそれをどう扱うのでしょうか。
仮にバーチャルリアリティの世界に東雲めぐのようなアバターであったり、sayaのような女の子がいて、普通に会話をしているとします。その時、人はそのアバターや女の子の中身がAIなのか、はたまた人間なのかを見分けることが出来るのでしょうか。
【バーチャルリアリティが実現した世界で】
まとめに入ります。
今後、バーチャルリアリティの世界でセカンドライフの再チャレンジがなされると、その世界の中ではCGキャラクターのアバターや人間の形をした存在がそれぞれ自由に行動するようになります。その存在との会話は、リアルタイム翻訳によって言語の壁は存在しません。
そして、そのバーチャルな世界、というよりも現実世界とは別の一つの社会の中で様々なモノやサービスの売買が行われたり、音楽ライブのようなパフォーマンスに対する投げ銭が行われます。
しかし、その世界の中で会話をしている相手や取引をする相手、ライブパフォーマンスを行っている存在がどの国の人なのか、男性なのか女性なのか、そもそも人間なのかAIなのかすらわからないといった世界になります。
そこでは、国の信頼の元に成り立っている法定通貨よりも世界中に分散された台帳で運用されるビットコインのほうが信用に値するお金ということになり、売買の相手がどこの国のだれであろうと、それがAIであろうと、トラストレスに取引が出来るビットコインが使われるように思います。
といったような未来の世界観は、現時点のテクノロジーの発展スピードや最新の開発状況を調べていると夢想してしまいます。
実現するかしないか、全く別の形になるのかは正直言ってわかりません。
こういった世界にワクワクするのか困惑するのか、拒否反応を示すのかも人それぞれだと思います。
しかしながら、望む望まざるに関わらず世界がすごいスピードで変わっているのは確かだろうと思います。
東雲めぐの衝撃と今後の二次元コンテンツに関する考察
「東雲めぐ」とは
ストリーミングライブ配信サービス「SHOWROOM」をプラットフォームとして、今年の3月1日からリアルタイム動画配信を始めたバーチャルSHOWROOMERです。
僕はこの「東雲めぐ」とそれを実現している技術が、この先アニメを中心とした二次元コンテンツの中で大きな存在になっていくだろうなと考えています。
その理由をこれから色々と書いておこうと思うのですが、結論として一番大きな理由は「文句なく可愛い」からです。単純ですが、二次元ビジネスにおいて一番大切であろうこのことをクリアしているのが何より大切です。
論よりもまずは観た方が早いと思うのでこちらをどうぞ。(現在SHOWROOMの配信動画のアーカイブを残していないので、YouTubeのダイジェスト動画になります)
技術面からみた東雲めぐ
こちらはオーディションの際に公開された配信イメージ映像です。
東雲めぐに採用されている使用機材はパソコン、VRヘッドセット「Oculus Rift」、ハンドコントローラー「Oculus Touch」のわずか3つだけだそうです。それらを用いて「AniCast」というバーチャルキャラクター配信システムを動かし、SHOWROOM上であのような挙動を実現しています。配信に際して、そのほかの大掛かりな装置やサポートをするスタッフは不要で、東雲めぐの配信も声優が自宅でひとりで行っているとのこと。
そして、東雲めぐに限らずとも、このシステムを使えばSHOWROOM上で比較的低コストで同じような挙動を実現出来るみたいです。
つまり、キャラクターの3DCGのモデリングという初期投資を行えば、このシステムを使うことである程度容易に第二・第三の東雲めぐを作ることが出来るということになります。そのため、おそらく今後のバーチャルYouTuber的なものの日本国内でのプラットフォームはYouTubeではなくSHOWROOMになるのでは?と思います。
そして、このシステムやそれを実現している技術は単にバーチャルSHOWROOMERといった範囲に止まらず、アニメ製作の現場でも使われていくのだろうと思います。
現に、東雲めぐは、2018年にYouTubeにて配信予定の3DCGアニメ『うたっておんぷっコ♪』のメインキャラクターとして生み出されています。
そして、そのアニメの製作プロジェクトのプロデューサーの方はこのように言っています。
誤解が広がる前に。東雲めぐのおんぷっコがさす『アニメ』とは、テレビアニメ化をさすものではなく、アニメと現実を融合した、新しい体験を目指してのアニメ表現なのです。これを的確に伝えられる新しい用語を考えないとですね😅 #東雲めぐ
— Gugenka 三上昌史 masafumi mikami (@mikami_cs) 2018年3月9日
その意味について考えていきたいと思います。
アニメの製作現場に起こる変化
まず現状の「AniCast」のシステムの時点で、キャラクターが口を動かして声を出し、歌い、体を動かし、表情を変えるという一通りのことが出来、そしてカメラのアングルも変えることが出来ます。これに美術(背景)が加われば、それだけでシンプルなアニメとして成立してしまいます。歩く、走るといった全身運動がどこまで出来るのかについては先述の『うたっておんぷっコ♪』がどういう仕上がりになるのかで確認したいと思いますが、おそらく既に実現可能なのかなという気はします。
現在も3DCGで作られたアニメは日米ともにたくさん存在しますが、キャラクターの3DCGモデリングを行い、「AniCast」のシステムに乗せるだけで少なくとも東雲めぐのクオリティのアニメーションが簡単に作れるとなると、現在の原画マン動画マンが手で書く制作のあり方から少しずつシェアを奪っていくのでは、という気がしています。
もちろん「AniCast」は人間の動作をそのまま模するものなので原画マン動画マンが全く必要なくなるということはないと思います。ただし、労働人口は少しずつ減っていき、人間以外の動物や物体の動きであったり、もしくはアニメ特有のデフォルメされた表現などを残った技術の高い人が担っていくのかなと考えます。そうなった時には人件費が削れた分だけ残った人たちに技術に見合った対価が与えられてほしいと思います。これは僕の願望ですが。
今後作られると予想されるアニメの傾向と課題
【傾向】
1. アニメと現実の融合
まず、先ほどのGugenkaプロデューサーもツイートで言っているようにアニメと現実を融合させることを想定したアニメ作りが増えてくるかと思います。具体的にはアニメのキャラクターがSHOWROOM配信を行ってファンと直接交流したり、あるいは現在の声優が舞台に立つライブ興行から初音ミク型のライブ興行が増えていくのではと考えています。「東雲めぐ」もおそらくその流れを最初から意識したプロジェクトです。
バーチャルなアニメのキャラクターと直接やりとりが出来る時代というのは多くのアニメファンが望んでいたものなのではと思います。
2. 作品の長期コンテンツ化
現在のアニメは1クール、せいぜい2クールで終わるものが多いです。
これまでの作り方だと回を重ねるごとにその分作画のコストが積み上がっていきましたが、「AniCast」を用いた制作方法では最初に3DCGのモデリングコストをかかり、放送回数を重ねるごとにひと回あたりのモデリングコストが少なくなっていくため、今までよりも長期で制作することにメリットが生じるのではないでしょうか?
そして、SHOWROOMギフトやファングッズ、関連アプリなどの利益で制作費をまかなえるようになれば、テレビというプラットフォームと円盤売り上げに依存する今の制作のあり方を離れ、YouTubeで長期に渡ってアニメを配信し、息の長いコンテンツに育てることが出来るかもしれません。
【課題】
このシステムを使ったアニメ作品が多くなると、必然的に同じような動きをするものばかりになり、アニメーションの多様性が損なわれそうです。今後はシステムの中でそういった多様性を実現出来るのかも課題になるのかなと考えます。
声優の女優化と匿名化
このシステムでの制作が行わるようになると、これまで声の演技だけを求められていた声優にも女優と同じように身体の演技が求められるようになります。身体の演技と声の演技を分けてひとつのキャラクターを作ることも技術的には出来そうですが、そのキャラクターを使ったリアルタイム配信のことを考えた時にはやはり同じ人物がやるべきだと思います。
また、東雲めぐの中の人はオーディションによって選ばれた人物です。キャラクターの設定は今年の3月に中学校を卒業した15歳ですが、中の人の年齢は公開されていません。実際に中の人も15歳でキャラクターと自分のプライベートを重ねて話しており、今のところ齟齬が出ていないだけということもなくはないですが、可能性は薄いと思います。
つまり、これからの声優はアニメの作品内だけではなく、SNS上での振る舞いや動画のリアルタイム配信という環境においても自分の演じるキャラクターを考慮して発言しなくてはいけません。
東雲めぐの中の人は見事なものです、配信の中で投げ銭アイテムを手に取りながら視聴者と直にコミュニケーションを取り、「おかあさんにうるさいと怒られた」と声を小さくし、(普通の中学生は友達と過ごしたり親とお祝いをするだろうから)卒業式の夜と次の日の朝は配信しないといった部分にまで気を使い、キャラクターの実在感を保っています。そういった細部にまで頭を使い、演技が出来る人が今後の声優に向いているのかなと思います。
そして、キャラクターの実在感が今まで以上に大事になってくると声優個人の顔やパーソナリティ情報の重要性は必然的に下がります。東雲めぐの中の人も非公開です。
そのため、声の良さが必要という前提は崩れないものの、ビジュアルも求められてきた声優の世界も少しずつ変わり、いかに映像作品の外(つまりSNSやリアルタイム配信の中)でもキャラクターを演じきれるかという知性のほうがより重要になってくるのかもしれません。
[追記]
開発されている方々のツイートの中で出てきた話が面白かったので追記します。
「女優化」とまで書いておきながらその視点が抜けてたのは笑うしかないですが、現在人気のあるYouTuberが事務所に所属してタレント活動を行っているように、バーチャルユーチューバー達も事務所の所属タレントになることが考えられます。
東雲めぐにもいくらか設定としての決め事があるかもしれませんが、基本的には東雲めぐという存在、人格自体にファンがついています。そのため、今後はアニメの世界にも映画やドラマのようにタレントのキャスティングという概念が入ってくることも考えられます。いくら人気があったとしても綾波レイがエヴァ以外の作品に出ることは事実上難しいですが、特定のアニメ作品のキャラクターではないところからスタートしている東雲めぐは複数のアニメ作品に出演出来そうです。そして、アニメの番宣やCMに東雲めぐ自身が出ることも容易で低コストです。
そのあたりのことも踏まえながら、現在前例のない中でそういった声優のあり方に取り組んでいる東雲めぐとその中の人を見守っていきたいと思います。
ブラックパンサーについて(ネタバレあり)
昨晩、マーベルスタジオの新作「ブラックパンサー」を観て非常に感銘を受けたので、自分なりに感想をまとめてみたいと思います。
その前に、僕の現状の世界の認識についてです。
まず、データとして出ている事実として、資本主義の加速による富の偏りがあります。
そして、その富が特に集中しているのがアメリカのシリコンバレーにあるIT企業、特にApple、Microsoft、Alphabet(Google)、Amazon、FacebookのBIG5です。
これらの企業に共通する特徴は、例えそこにいくらかの欺瞞があったとしても、世界の人たちみんながそう望んでいなかったとしても、彼らがもたらす変化によって不利益が生じる人が沢山出てこようとも、強烈な意志と実行力で世の中を彼らの理想とする世界に作り変えていることです。
これらの企業は事業を通して手にした膨大な情報を背景として、人工知能の開発を進めています。また、自動車も電気自動車への移行による内部構造の変化にともない、これらのIT企業も含めた競争となってきます。自動運転技術やVR/AR、となんでもいいですが、この先の世の中に大きな変化をもたらすであろうあらゆるテクノロジーがコンピューターサイエンスの上に成り立ってきて、どうやらこの流れは止まることがなさそうです。
もし、従来のコンピューターとは比べ物にならない処理速度が出るという量子コンピューターの技術がより成熟したら、そのスピードは更に加速するはずです。
更にGoogleマップなどで兼ねてから都市についての検証を行っていたAlphabetはカナダのトロントで市内12メーカーの未開拓値において都市そのものの開発を行っています。
現時点でどの程度の人がこの都市に魅力を感じるのかはわかりませんが、人々が今よりももっと自由に自分の生きる場所を選べる時代になった時、グーグルがこれらの実験で提案するような都市で生きたいという人はかなり出てくるんじゃないかと思います。
さて、ここからようやく映画の話になりますが、ざっくりとあらすじです。
まず、本作の舞台となるワカンダ王国は世界から存在を隠しているテクノロジー立国として描かれています。
物語は主人公ティ・チャラの父であるティ・チャカ王の殺され、ティ・チャラが王位を継承するところから始まります。ティ・チャラは自国の国民を守ること(ひいては自国の国益を守ること)を第一に考えて国を発展させてきた父ティ・チャカを心から尊敬しており、当初は父と同様の方針で国を率いていくことを考えます。
物語の中盤から、父ティ・チャカがそういった国家の運営をする中で隠していた欺瞞とそれによって犠牲になったり、被害を被った人物の存在が明らかになってきます。
ワカンダに科学技術の発展を抑えられているジャバリ族もそうですし、父をティ・チャカに殺されたエリックもそうです。
エリックはワカンダとワカンダの科学技術を乗っ取り、そのテクノロジーを武器にかつての帝国主義のような振る舞いで世界を変えていこうと企てます。エリックとの王位をかけた決闘の際、心の優しいティ・チャラは自分の父がエリックにした行いに対する罪悪感のようなものから力が発揮出来ず、決闘に敗れてしまいます。
一命を取り止めたティ・チャラはハーブの見せる幻の中で父と父のやり方からの決別を宣言し、暴走するエリックを止めに戻ります。
エリックに勝利し、国王の座に戻ったティ・チャラは、ワカンダの本来の姿を世界に公開し、ワカンダの科学技術を世界に広め、富を世界に分け与えることとします。そして、エリックの住んでいた土地に国際支援センターを設立します。場所はカルフォリニア、シリコンバレーのある土地です。
僕はこのワカンダという国をIT企業のメタファーとして観ました。
父ティ・チャカのワカンダの運営のあり方は、IT企業が自分たちの利益を過剰に優先する姿に重なりますし、エリックの存在はそういった企業や資本主義に搾取された途上国であったり、資本主義で負けた側の存在と重なります。そして、エリックがワカンダを乗っ取ってやろうとしたことは、IT企業が自分たちの都合のいいようにテクノロジーで世界を過剰に変えていくことに対する警鐘のようにも思えます。
最終的にティ・チャラが選んだワカンダのあり方は、富めるものにはそれ相応の責任があり、社会の模範として振る舞う義務があるというノブレス・オブリージュの思想を体現するものです。
そのことを、これから益々一部の人や企業への富の集中が加速していきそうな現代に、資本主義の中心であるアメリカから、これまでの人類の歴史の中でずっと搾取されてきたアフリカの黒人を主人公にして描かれたことにはとても大きな意味があると感じました。
実際のところ、アメリカのIT長者がこういったことを何もしていないわけではなく、マイクロソフトの第一線を退いたビル・ゲイツはビル&メリンダ・ゲイツ財団という世界最大の慈善基金団体を設立し、世界の貧困や病気、教育などの問題の解決に力を入れています。その基金には投資家のウォーレン・バフェットも300億ドルの寄付をしているとのことです。
世界の格差の解消が人類の持続的な発展に繋がるといったような大きな視野での取り組みや行動を僕のような小さな人間が日々の暮らしの中でどこまで出来るについてはなかなか難しいところもあると思いますが、知らずに生きているよりはちゃんと知った上で生きていきたいなということを改めて考えさせられる映画でもありました。
古着についてのとりとめのない話
最近古着についてなんとなく考えていたことを書き残しておこうと思う。
僕は現在31歳なのだが、学生時代は比較的洋服が好きな人たちに囲まれた環境にいた。そういった環境の中で見てきた「古着好き」はざっくりと2パターンに分類出来るような気がいている。
①古着オタク
古着という文化自体が好きで、洋服ごとブランドごとアイテムごとの歴史に関心がある人。TALONのジップの形状から年代を特定する、みたいなことが好き。
こういう人は古着屋でバイトをして、中にはそのまま就職した人もいたな。
②文脈に執着しない古着好き
古着自体への愛着や知識は人それぞれだが、その古着のブランドや歴史といった文脈自体にそこまで執着せず、自分の感覚で自分なりにそれらを取り入れて、「結果的にかっこよければそれでいいでしょ」といった人。
この辺はわりとヒップホップのサンプリングに似てるなと思っていて、サンプリングソース自体に愛着や敬意があるかはそこまで重要ではなく、出来上がったものがカッコよければそれでいいといった感じ。
当時の僕はどうだったかというと①と②を足して薄めた感じだっただろうか。服の成り立ちや歴史について調べるのは好きだったけど、古着メインになることはなく、手持ちの洋服に少し取り入れるくらいの感じだったと思う。
僕自身が歳を取り、地方に移って環境が変わったこともあるけど、今も東京には①のような人種はけっこういるんだろうか?少なくともインターネット上であまり見かけることがないような気がする。アメカジについて熱く語る中年ってどこに消えたんだろう。
それはさておき、僕が学生だった12年ほど前は「数年前のブランド古着を買う人」に対して、周りがあまりいい評価をしていなかったような気がする。
①や②の人から見ると、「洋服や古着に強いこだわりがあるわけでもなく、かといって自分のセンスで何かを提案してみせるわけでもなく、ただブランド品を安く買いたいだけ」に見えたんだろうし、まぁそう考えるのも納得はいく。
そして、2018年現在の十代後半、二十代前半にとってもそういった感覚が残っているのかについてすごく興味があるが、たぶんそのあたりの感覚はだいぶ変わっていて、そういったことを特に意識することなく、メルカリで自分の好きなブランドで検索してバンバン買ってるんだろうなと思う。
理由としては
①(当然ながら)スマホの普及でネットオークション、フリマアプリがより身近になった
②日本全体の所得水準の低下により新品の服が高く感じられるようになった
③00年代のファストファッション台頭以降、アパレルメーカーにまともな価値提案をする体力がなくなり、トレンドの力やトレンドの更新力が鈍くなった
④本質的な価値のない古い洋服を”ビンテージ”と称して粗い値付けで売っていることがネットを通して消費者にバレちゃった
みたいな感じなのかもしれない。
だからどうしたって感じだが、特にこれ以上の話は特にないです。
それはそうと、古着屋を巡っていた当時の記憶は今でもいい思い出だな