犀の角のように

H30年7月9日より勉強ブログになりました。32歳からの学び直しの記録です。

若林恵「さよなら未来」を読んで

テクノロジーをメインに扱うWIREDというメディア、その元編集長である若林恵さんが2010年から2017年にかけた書いた文章を一冊にまとめた本です。

4月19日に発売されてすぐに購入し、4月中には読み終わっていたのだけど、感想を書くまでに自分の中で整理しなければならないことが本当に沢山あってこの文章を書くまでに時間が掛かってしまいました。

 

twitterなどで検索するとこの本について感想を述べている人はすでに沢山います。そして、テクノロジーに関する話題も多い本書ですが、感想を述べているのは編集者であったり音楽畑の人ばかりで、技術者からの感想はほとんど見当たりません。

その理由は「さよなら未来」というタイトルにも端的に現れていますし、本書の序盤で出てくる2010年に書かれた文章ではっきりと示されています。少し長いですが引用されてもらいます。

「煎じ詰めていけば、テクノ・エバンジェリストたちと、それに猛然と反発する人たちとのちがいは、テクノロジーが先か、人間・社会が先か、をめぐる見解の相違なのかもしれない。テクノロジーが変わることで、人間や社会が変わるのか。あるいは人間や社会が変わることで、テクノロジーのありようが変わるのか。音楽好きならば、エレキギターがロックの世界を変えたのか、それともジミヘンが変えたのか、と問うてみてもいいだろう。さあ、どっちだ。

一番慎重な答えをとるならば、「両方」ということになるのだろうが、それでも僕はどちらかといえば「ジミヘンが変えた」というほうに幾分か傾斜しておきたいと思っている。」

この価値観は本書の中でも一貫して通底しており、本書の発売に合わせた著者のイントロダクションではさらに強い言葉として書かれています。

つまり、若林恵さんの面白さというのは、テクノロジーを扱うWIREDというメディアの編集長をしてながら、根っこの部分の興味は常に人文学のほうに寄っていたというところであり、そういった姿勢や価値観、さらに文章の巧みさなどから、編集者や音楽関係者の厚い支持を得ている、というところなのだと思います。

 

さて、それでは今、日本や世界においてテクノロジーの最前線にいる人たちがみんな人文学を、あるいは人間や社会を軽視して物事を推し進めているのかというと決してそういうわけはないというのも事実です。むしろ、これからの時代に人や社会が豊かさを保っていくために真剣に頭をひねっている人たちが沢山います。

日本国内で考えてみましょう。

2018年の現在ですら、あらゆる業界で人手不足な状況で、就職も完全に売り手市場になってます。景気の問題もあるでしょうが、これから更に生産年齢人口は減少の一途を辿りますし、高齢者ひとりを支えるための現役世代の人数というのも更に減っていきます。

f:id:hobbitbit:20180519172747j:plain

そんなこれからの日本において、テクノロジーで解決できる問題はテクノロジーで解決していくしかないだろうということはかなりはっきりとしていると思います。

具体的には、(まずは運送業などの皮切りとして)自動運転車をガンガン走らせるとか、現金社会からスマホ決済やデビッドカード決済に移行してコンビニなどの無人化を進めるとか、AIで代替出来る仕事(業務)はAIに置き換えていくとか、VR空間で済むような会議や打ち合わせなどはVR空間で集まって行い、移動時間のロスを減らす、などです。

現実的な話として、こういった取り組みを今のうちから全速力で推し進め、国民一人当たりの生産性をガンガン高めていかなければ「これから先も日本国民全体の生活水準を現状維持する」ということ自体が夢物語なんだろうなと思います。

という前提を理解すると、テクノロジーを推し進めている人たち(仮にイノベーターとします)がやろうとしていることの正しさというものも見えてきます。しなしながら、イノベーターが変化を推し進めていくとそのあおりを食らう人たち、例えばそういった変化の中で職を失いそうな人たちからは猛烈な反発が出ます。それに対して、イノベーターの人たちがそういった批判の声にいちいち耳を傾けて足を止めていられない、と考える気持ちも凄く理解できます。何もせずに、足を止めていても人は歳をとるし、高齢化は進みます。そういった変化に対する勢いであったりスピード感というものが、「テック企業(やイノベーター)の傲慢さ」のような記事として世の中に出てくることも多いですが、自分がどちらの立場につくかによって見え方は大きく変わるはずです。今の僕個人の気持ちとしては、(全部が全部とは言わないものの)様々な変化を前向きに受け入れていくべきだと思ってます。

 

ただし、若林さんもこういったことは当然理解しています。

そして、イノベーターたちの正しい取り組みについては、それ自体を”勇気”と称しています。こういった両面の立場からの発言が本書の中には多く見られ、僕がこの本の感想を書くにあたって時間がかかってしまった理由でもあります。

f:id:hobbitbit:20180519182406p:plain

さて、先ほどあげた自動運転車の普及やコンビニ無人化が進み、AIが様々な業務を担っていく未来はほぼ間違いなくきそうです。

現在、運送業の人たちの労働環境の厳しさはニュースでも話題になっています。そういった人たちの日々の努力があって、僕たちは今インターネットで物を買う便利さを享受しているわけです。しかし、自動運転車が実用化されると運送業のドライバーは真っ先に置き換えられていくはずです。ついこの間まで残業続きで身を粉にして働いていたのに、いつのまにか自分の居場所がなくなってしまう。そうなった時に、そういう人たちに対して「自動運転車が普及するなんて前からわかってたことじゃん」とはなかなか言いたくない自分がいます。

都内のコンビニで働く外国人労働者にも同じようなことが起きてくるだろうと思います。

そうなった時、職を失った人たちがAIや機械に置き換えにくくて社会的に需要がある職業にスムーズにスライドしていけたらいいですが、おそらく事はそう簡単に運ばないような気もします。世の中の変化の早さに社会のセーフティーネットもうまく機能せず、社会からこぼれ落ちるような人たちもきっと出てくるはずです。

そして、僕自信も自分にさしたる能力があるとは思っておらず、この先の変化の中できちんと身を立てていけるのかという不安は常に抱えています。

そういった大きな大きな世の中の変化のタイミングで人の心を支えるものこそが人文学なのだろう、と僕は思います。

 

僕なりの要約にはなりますが、本書の最終章で若林さんはこのような話をしています。

「ここ数年の間にAI、ロボット、ブロックチェーンVRと要件は出揃ってきて、WIREDというメディアでその道を作ってきた。今後それらの技術が一気に世の中に出てくることはわかってて、その道を遡って舗装すればお金は儲かるだろうけどWIREDの編集長を離れるタイミングで別のことをやる」

といった話です。

これからの世の中の変化や盛り上がる場所を理解しながらも、自分の立場でやるべきことをやろうとしている姿は信用に値するなと素直に思います。

そして、新しく立ち上げた黒鳥社(blkswn)での活動は、この先の世界の変化の中で社会からこぼれ落ちた人たちの支えになるものになるのだろうという気がしています。

 

この本の中で僕が特に好きだった章がこれです。


努力はするつもりですが、僕も社会からこぼれ落ちるおっさんになるかもしれません。

それでも「どこかに居場所がある」、そんな世の中であってほしいです。