犀の角のように

H30年7月9日より勉強ブログになりました。32歳からの学び直しの記録です。

旨味と苦みとDC/PRG

菊地成孔さんが主催するレーベルTABOOの5周年イベント「GREAT HOLIDAY」に行ってきた。

菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール、オーソロジー市川愛ものんくる、新生スパンク・ハッピー、けもの、JAZZ DOMMUNISTERS、DC/PRGとレーベル総出の一大イベント。
ものんくるのレーベル卒業の発表なんかもあったし、新生スパンク・ハッピーのお披露目にも胸が躍ったし、そもそも素晴らしいパフォーマンスをみせてくれたすべての出演者に対して書くべきことはあるのだが、今回は最後に全部をかっさらっていったDC/PRGについて書きたい。
 
と言いつつ、いきなり話が逸れるように思われるかもしれないが少し我慢して読んでほしい。
いつ、どこの番組だったかは記憶が定かでないが、落合陽一さんが自身の食の好みを聞かれ、砂糖(スクロース)や塩(塩化ナトリウム)のようなシンプルな甘さやしょっぱさではなく、ハマグリのような複雑性のあるものが好きだと答えていた。生き物を丸々食べる旨味と雑味(苦み)に豊かさを感じるそうだ。その時は単に食の好みの話だと受け取ったし、実際それ以上の意味はない発言だったのかもしれないが、どこか心に引っかかるものがあった。
(考えるまでもなく自明のことながらも)最近よく考えていることなのだが、この世界というものは複雑性の塊だ。学問の話でいえば、過去の研究者が人生をかけて積み立てたものの上に、次の世代の研究者が新たな何かを積み上げてきた。そんな現在においては、あらゆるものの仕組みを横断的に完璧に解ろうなんてのは土台無理な話だ。何かひとつの分野に全力で向かい合ったところで、「ちゃんと理解できた」と胸を張って言えるようになれるのかも定かでない。さらにはあらゆる国の文化や歴史、価値観の違いであったり、予測のつかない自然災害などが乗っかってくる。まったく、この世界のややこしさったらない。それでも、せめて世界の輪郭だけでも捉えてみたいと思い、少しずつ世の中に目を向けようと思っている自分がいる。
世界の複雑性の中にも旨味と苦みが溢れている。
豊かさ、進歩、発展、喜びという旨味があり、それと同じだけ貧しさ、後退、衰退、悲しみという苦みがある。もっとシンプルに「自分の好きなものや人、価値観であったり、自分の興味があるもの、目にしたいもの」を旨味といい、「自分の嫌いなものや人、価値観であったり、自分の興味がないもの、目に入れたくないもの」を苦みと言い換えることも出来そうだ。
 
 
きっと人は誰しも自分の好きなものや好きな人に囲まれて生きたいと思うものだろう。僕もそう思う。でも、自分の中にある「好き」だけを頼りに生きていくと、きっとどこかで行き詰る。twitterのタイムラインを自分と趣味や価値観の合う人だけで固めると確かに気は楽だし、興味のある情報の摂取効率は上がる。ただ、きっと発展は少ない。
今自分が世の中の苦みだと思っていることが、実は旨味を引き立てていたり、もしくは苦みだと思っていたものが旨味に感じられるようになる可能性が減ってしまう。
たぶん、世の中の複雑性を旨味も苦みもひっくるめて口に入れ、噛んでみて、飲み込むことが大事なんだと思う。複雑性ってものがきっと豊かさの正体だ。
 
さて、ようやくDC/PRGの話にたどり着いた。
ここまでに書いてきたことが、僕がDC/PRGのライブを観て感じたことのすべてだと言っていい。
DC/PRGの高度に訓練されたメンバーによる演奏から感じる秩序を旨味とするならば、奏でられる音楽の混沌具合はきっと苦みだ。そして、その旨味と苦みがすばらしいバランスで混ざり合ったDC/PRGの音楽はこの上なく豊かだ、としかいいようがない。
この複雑性は、きっとそのまま菊地成孔という人物の複雑性とイコールだし、本当に面白くて豊かな人だと思う。なにより素晴らしい音楽家だ。
DC/PRGの出番は長丁場のフェスの大トリだった。僕もそうだが、開演から会場にいた人たちはDC/PRGが演奏を始める時点で5時間以上立ちっぱなしで疲労が溜まっていたはずだ。
しかし、ひとたびDC/PRGの演奏が始まると疲れが頭をもたげることは一度もなかった。歳を重ねるとともに、ライブに行っても体を動かさずに眺めるように観ることが増えてきた僕も、久しぶりに、そしてごく自然に疲労を忘れて思う存分体を動かしていた。
僕だけじゃなく周りの人たちも、DC/PRGという普通に考えればわかりやすいとはとてもじゃないが言えないような複雑性を備えた音楽をそのまま飲み込み、熱狂していた。
本当に素晴らしい時間と空間だったと思う。そして、最高のバンドだとも思う。