これまでとこれからの自分について
最初に言っておきたいこととして、僕は一つの場所、一つのコミュニティ、一つの組織の中で努力をして、そういった集団を支えている人に対して何の悪感情も持っておらず、むしろ僕には出来ないことをしている人だという尊敬の念がある。
その上で自分について少し考えてみたいと思う。
まず大前提として、自分はストレスに弱く、とても移り気だ。そして、興味を持った対象にはおそらく人よりも深く熱中する。
おそらくそれは僕自身に生来的に備わった特徴であり、今後も変わらない可能性が高いような気がしているし、僕がこれまでの人生で無意識に取ってきた行動や二度のメンタル的危機(高校時代と社会人になるタイミング)についても、そういった特徴が根っこにあったように思う。
音楽という一つの枠の中だけでみても、僕の興味の対象やジャンルはこれまでもコロコロと変わってきたし、おそらくこれからも変わっていく。最近は、また新しい音楽のあり方の雛形のようなものが散見され、今はそういったところに興味を持っている。
2013年頃からはアイドルが好きになった。当時は、多様な音楽ジャンルを次々に取り込んで「アイドルソング」の幅が拡張されていき、ファンの人種も多様だった。カオスではあったし、僕の知らないところでクソな出来事も、異文化間の衝突もあったのだろうけど、僕自身は概ね平和と自由を感じていた。BiSやでんぱ組のようなグループが出てきたことも、その現場で起こっていることも、賛否があるのは知っていたけど遠巻きに面白く眺めていた。
そして、今は同じような感覚でVR周辺で起こっていることを眺めている。
ただ、よくよく考えてみると僕はいつでも、多分今も「自分にとって居心地のいいコミュニティの末席」にいる気がする。
なんだかんだで3年以上好きだったアイドルについても、握手会に行ったのが確か2回ほど、TIFにも1回しか参加していない。「地方に住んでいるから」だと自分では思っていたけど、多分そういうことじゃない。行こうと思えばいくらでも行けたはずだ。
VRに関しても多分そうだ。VRやVRChatの中に存在する自由を、そこにフルコミットする沢山の人たちを、少し羨ましく思いながら末席で見ている感覚がある。
こういった自分のあり方を「本気になれないワナビー」だと感じることも多々あるけど、例えばアイドルが好きだった時期に古今東西のアイドル音楽を聴いた量はかなり多い方だったと思うし、VR/ARに関しても未来のイメージを掴みたくて沢山の情報を求めている。
今の職場においても同じことが言える。今の部署について3年ほどになるが、僕が同僚とご飯を食べに行った回数は1回だけだ。(周りは時間を合わせて各自で行っている)協調性が無いというだけの話かもしれないが、おそらくだけど、この回数はきっと普通じゃないと思う。当然の事ながら組織の中での出世(つまり責任が増すこと)に何の魅力も感じていない。
これらのことは、全部無意識に自分が取ってきた行動になるが、つまるところ「自分自身の価値観が急激に変わる可能性」が前提にあるため、特定の場所、コミュニティ、組織からすぐに脱出出来る位置にあえて自分を置いているとしか思えない笑
本来はその場その場でフルコミットした上で次に進む方が一番成長出来る気がするが、そうなると自分自身が沢山の責任や役割を抱える立場になり、脱出時に人を振り回したり摩擦が起こるので無意識に避けているような気もする。(実はそういった形で深く入りこんだ方が後々その場を離れた後も深く理解しあえる人が周りに残る可能性が高まるだろうことも薄々感づいてはいる)
特定の集団に長く、深く身を置きたくないということは、集団から生じる価値観を持ちたくないということでもある。つまり、自分自身の中の「良識」を信じるしかなくて、その「良識」を下支えするのが、教養や、あるいは哲学のようなものだろうと思う。そして、そういったものに触れた上で自分自身と対話し、自分がこれまで信じてきた「良識」をきちんと疑って更新していく必要があると思っている。
自分の人生があまりうまく回っていなかったのは、ある場所から脱出する時にいい移住先に移るための切符を持っていなかった。つまり、能力が足りなくて移住先の選択肢があまりにも少なかったことが理由の一つとしてあると思う。それは就職先だったかもしれないし、居住地だったかもしれないし、あるいはフリーランスとして活動出来ないということだったかもしれない。今僕が(優先的に)英語を勉強しているのは、多分そういった切符を手にするためだと思う。
人が新しい場所に移る時、多分いろんなものを処分しなくてはいけないと思う。それは「物理的な引越しで不要なものを減らすこと」と似ていて、新しいことをするための時間を捻出するために、これまで好きだったもののうち本当に自分にとって大切なもの(僕だったらミュージシャンや映画監督など)以外をその場に残して立ち去れないといけない。ただ、その場に置いて離れた過去に触れたアレコレも自分の血肉になった大切なものであることには変わりない。
最後に一つ理解してもらえたら嬉しいのは、アイドルを通して出会った人たちとの時間は間違いなく幸せだったし、おそらくいずれ離れるであろうVRコミュニティの末席で出会った人たちもきっと同様になると思う。僕にまた何かしらの変化があったとしても「コミュニティの一員じゃない僕」に心を許してくれる人がいるならば、僕にとってそういった人たちは何よりも代え難く大切な存在なのだと思う。
おそらく僕はきっとこういう生き方しか出来ないから。