犀の角のように

H30年7月9日より勉強ブログになりました。32歳からの学び直しの記録です。

映画「この世界の片隅に」を観て

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【あらすじ(wikipedia引用)】

1944年(昭和19年)、絵が得意な少女浦野すずは広島市江波から呉の北條周作のもとに嫁ぐ。戦争で物資が不足する中、すずは不器用ながらも懸命にささやかな暮らしを守るが、軍港の呉はたびたび空襲を受けるようになり、1945年(昭和20年)6月、すずも爆風で右手首から先を失う。見舞いにきた妹のすみからお祭りの日に帰ってくるよう誘われるが、その当日8月6日、呉では閃光と轟音が響き、広島方面からあがる巨大な雲を見る。8月15日、ラジオで終戦詔勅を聞いたすずは、今まで信じていた日常を裏切られたくやしさで泣き崩れる。翌年1月、すずはようやく広島市内に入り、祖母の家に身を寄せていたすみと再会。両親は亡くなり、すみには原爆症の症状が出ていた。廃墟となった市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻るのだった。

 

【作中における"戦争"について】

本作は、すずを中心とした北條家の日々の営みを軸に描かれている。

そういった中で戦争をどのように取り扱っているかというと、反戦のようなイデオロギーに偏るでもなく、当時の市井の人々の暮らしの中に紛れ込み、徐々にその暮らしを変容させていくものとして描かれている。

作中の市井の人々は、戦争が自身の生活に紛れ込んでくることに抗いようがなく、戦争をも織り込んだ日常を懸命に生きようとしている。そして、おそらくこれが当時の大多数の国民のありのままの姿であったろうことは想像に難くない。

本作における戦争自体への言及は、巡洋艦「青葉」の乗組員として出兵し、仲間を失いつつ生き延びてきた幼馴染の水原晢が、すずに対して「おまえだけは最後までこの世界で普通で、まともでおってくれ」と当時の日本の異常性について示唆的な発言をした場面くらいだったのではないだろうか。

では、戦争が物語の添え物に過ぎなかったかという決してそうではなく、戦争自体の悲惨さは、戦争を描いた過去の様々な物語の中でも際立っているように感じられる。

それは、戦争が市井の人々の生活の中に入り込み、その生活を全く別のものに変容させていく過程を徹底した時代考証と細やかなディテールで丁寧に描いており、そのことが昨今のどことなく危うい方向に向かっているように感じられる社会情勢を生きる私たちにリアリティを持って迫ってくるからであろう。

さて、物語の終盤、玉音放送終戦を告げた。しかし、私がこの作品の中で最初に終戦を感じたのは、白米を炊き(家長の円太郎の器に多く盛られていたのが時代を感じさせた) 、電灯の覆いを外して夜の呉の町に明かりが戻っていく場面であった。以前の日常をひとつ取り戻した、そんな場面こそ、この映画における”終戦”にふさわしい。

 

【居場所について】

本作にとって重要なキーワードが”居場所”だった。ここでいう”居場所”とは、家族や友人、恋人といった人との繋がりの中から生まれる自分の身の置き場のことだ。

そして、この作品は「すずの居場所」をめぐる物語でもある。

住所も苗字も覚えておらず、顔もみたことのない相手のところに嫁いだすず。

ある日、畑で夫・周作と会話している中で、呉に多く咲く白いタンポポの中に黄色いタンポポが一つ混ざっていることに気づく。すずは黄色いタンポポを抜こうとすると周作を「遠くから来たかもしれんから」と言って止め、他所からきたタンポポと自分の境遇を重ね合わせる。

その後、義姉・径子にはきつく当たられることはあるものの他の家族やご近所と慎ましく暮らしていたが、ある日、すずは呉に落とされた時限爆弾で被災し、一緒に連れていた径子の娘・晴美を死なせてしまった上、自身も右前腕を失ってしまう。

すずは晴美を死なせた責任を感じながら、径子の罵倒を受ける。右前腕を失ったことで家事や身の回りのこともままならず、生きる喜びであった絵を描くことも奪われて、北條家での自身の役割や生きる意味を見出せなくなってくる。

妹・すみはそのことを気遣い、「江波に帰ってきたらどうか?8月6日は町のお祭りだから」とすずに提案する。

すずの気持ちは江波に帰る方向に傾いていたが、8月6日は病院の受診のため、まだ呉に残っていた。径子に「晴美が死んだことをあんたのせいにして悪かった。あんたの居場所はここでもええし、自分で好きに選んだらいい」

周作からも「いつまで他所にきたつもりでいるんだ」と叱責まじりですずの居場所が北條家にあることを伝えられていた。

すずはようやく北條家に自分の居場所を感じることが出来、径子に「ここにいさせてほしい」と伝える。そんな時、広島に原子爆弾が落とされた。

すずは原爆で両親を亡くし、妹・すみも原爆症に苦しんでいる。江波(浦野家)という居場所がほとんど無くなってしまったが、すずは北條家で生きていく。「すずさんには生きていくことに使命を感じている」とすず役を演じたのんさん(能年玲奈)が語っている通り、悲しんでばかりもいられないのだ。

そして、周作は「わしは絶対に帰ってくるけぇ、すずさんとこにの」と語り、すずもまた「呉はうちが選んだ場所ですけぇ」とお互いがお互いの居場所であることを確認し合うのだった。

 

【生き抜くこと】

本作は、戦争という逃れられない災厄に直面したすずが北條家という居場所を見つけ、その居場所がすずとこの世界とを繋ぎ止めたというお話だった。

嫁いだ黒村家と離縁した径子も実家という居場所に戻ってきており、最後に北條家に迎え入れられた戦災孤児の女の子もまた新しい居場所によって命を繋いでいる。

この話を少し普遍化して考えてみたい。

私たちが人生の中で逃れられない困難に直面し、ギリギリの状態になった時、逃げ込める場所が”居場所”であり、この世界に対する愛と執着を保たせてくれるものも”居場所”であるということだ。

それぞれの方にそれぞれの事情があったのだろうが、日本では毎年2.5万から3万近い人が自殺している。(思えば、本作冒頭で流れたカバー曲「悲しくてやりきれない」のオリジナルを作った加藤和彦も自ら命を絶っている)

ここ10年で減少傾向にはあるものの、未婚化が進んでその人と世界とを繋ぎ止めてくれる自身の”居場所”が曖昧な人たちが増えていくであろうこの先の世の中でどうなっていくのかはわからない。

未婚で実家という居場所にいる私も、いずれ両親が亡くなった時、この世界に自分の居場所を見つけられるだろうかと不安になることもある。

それでも、この生きづらい世界の片隅に居場所を見つけ、すず達のように前を向いて生き抜いていきたいものだ。

泣いてばかりじゃ勿体ない、塩分がね。

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