雨にぬれても

その時々の心の残ったものの記録が主な内容になるかと思います。音楽に関する話が多くなりそうです。

Cornelius「あなたがいるなら」

歌詞については以下の記事をお借りします。

 

僕がブログ記事を書く時、「書こう」と心に決めてから腰を据えて文章を考える場合と、何かしらの対象に突き動かされるように文章を書く場合がある。

今回は完全に後者の場合で、アーティスト単位、アルバム単位ではなく、一曲単位で記事を書くのは初めてのことだ。

一ヶ月後にはこの曲を収録したアルバム「Mellow Waves」が出るのだから、その時にアルバム単位で触れようかとも思ったが、やはりこの一曲の存在が日増しに自分の中で大きくなってきたため、大したことは書けないかもしれないがとりあえず吐き出してみようと思う。

 

この曲は聴いてすぐの自分の感想ツイートは以下のようなものだった。

この時点では、その「全く別の魅力」を生み出しているものが小山田圭吾の歌であることは確かだろうと思っていたはいたものの、言葉でどう表現すればいいのかわかっていなかったのだけど、タイムラインに流れてきた

 というツイートを見て、なるほどと得心した。

つまり僕は、この曲を「まだ名前のついていないソウルミュージック」であり、「5年から10年後、あるいはもう少し先の未来のR&B」を聴くような感覚で聴いているのだと思う。これから先の「メロウ」とか「スウィート」といったものがこういう形になっていくのかもしれないと、この極上のラブソングが教えてくれている気がする。

 

続いて、こちらもタイムラインに流れてきた以下のツイートに思わず同意をしてしまったのだが、

この曲を名曲たらしめている理由として、坂本慎太郎書いた歌詞が挙げられることはいうまでもない。

僕はゆらゆら帝国初期からの坂本慎太郎の熱心なファンではなく、「空洞です」以降からのそこらによくいるライトなファンといった感じなので間違いがあったらご容赦いただきたいが、近年の坂本慎太郎の歌詞の特徴のひとつに「固有名詞を使わない」ことが挙げられると思う。歌詞における固有名詞は、それがその時代を象徴するものであればあるほど”普遍性”との距離を生じさせる。これ簡単な話で、2017年に「ポケベル」という歌詞の入った曲がどう聴かれるかということだろう。もちろん、トレンドや”今”を捉える目的で歌詞に固有名詞を使うことが悪いということでは決してなく、それは作り手側の狙いや目的次第と言えると思う。それはともかくとして、「あなたがいるなら」でも固有名詞は使われていない。

この曲の歌詞における更に大きな特徴は、幼稚園児ですら知らない言葉が出てこないであろう、その平易さにあるように思う。坂本慎太郎の近年のどの仕事と比べても、その平易さは突出している。

「あなたがいるなら この世はまだましだな」というこの上ないシンプルな言葉の並びの中に、坂本慎太郎の今までの仕事の中に通底する「世界に対する諦観やペシミズム」がもはや前提のものとして織り込まれており、だからこそ「あなた」の存在がこの上ない救いであることが浮かび上がってきて本当に心を打たれる思いがする。

ゆらゆら帝国「空洞です」やsalyu × salyu「続きを」、ソロでの「まともがわからない」などなど、坂本慎太郎の好きな作詞仕事はたくさんあるが、僕にとってはこの曲が現時点での坂本慎太郎の作詞仕事のベストワークだという気がしている。

 

YouTubeにこの曲がアップされてから、気がつくとこの曲を聴いている。そして、一度聴き始めると本当に何度も何度も飽きることなく繰り返しリピートしていて、頭から再生する度に新鮮な喜びと静かで熱い感動をもらっている。小沢健二のファンの人には申し訳ないけれど、僕にとってはこの曲こそが”魔法的”な魅力を備えた音楽だった。